今日は、目覚ましより早く目が覚めた。
7月13日。僕の誕生日だ。
カーテンを開けると夏の強い日差しが眩しい。
今日、僕は12歳になる。
いつものように顔を洗いに階下へ降りると、台所から母さんが現れた。
「おはよう、ひろし。お誕生日おめでとう」
「おはよう、母さん。…ありがとう」
なんだかちょっと照れ臭いので、そのまま洗面所へ向かった。
顔を洗って鏡を見る。
12歳になったからって、劇的に何かが変わるわけじゃない。
目の前に移る自分の顔も別に変ったわけじゃないけれど、なんだかちょっと特別な感じがする。
食卓にはいつもと変わらない朝ごはんが用意されている。
新聞を読んでいた父さんが、顔を上げた。
「おはよう、ひろし。」
「おはよう」
「ひろしももう12歳か。…大きくなったな」
「なんですよ、あなた。急にそんなこと」
「そうだよ、父さん。」
「いや…、何だ。その…ゴホン。」
「変な父さん」
「…か、母さん、お茶だ、お茶」
「はいはい」
目玉焼きをつつきながら、母さんが、
「それで、ひろし。今夜は何を食べたい?」
と話しかけてきた。
「え?う〜ん。急にそんなこと言われてもなあ…」
「また、あんたって子は。今日はひろしの誕生日なんだから、好きなものを作ってあげるわよ」
「う〜ん。じゃあ、肉関係で、お願い」
「はいはい。肉関係って、また適当な」
「いいじゃないか。男は肉が好きだもんな」
「あなたの分は控えめにしますけどね!」
心なしか、父さんも母さんもいつもよりうきうきしているような気がする。
なんだか照れ臭かったけれど、嬉しかった。
朝食を済ませ、ランドセルを背負い出かけようとしていると、母さんが玄関へ急いでやってきた。
「ひろし、それで今日誕生日会するの?」
「ええ?そんなことしないよ」
「どうしてよ?」
「もう6年生なんだから、そんな子供っぽいこと…」
「あら、あんた一丁前にそんなこと言って。でも、本当にいいの?」
「いいってば」
そう言いあっていると、チャイムが鳴った。
「はーい。誰かしら…?」
「どうぞー」
カラカラと戸が開いて、訪問者が顔を見せた。
「クッキー!」「あら、容子ちゃん!」
「おはようございまーす」
「おはよう、クッキー。でもどうしたの?」
「えへへ。ひろし君今日誕生日でしょ?だから、今日はあたしが迎えに来たの!」
朝からドキドキしてしまう。でも母さんにばれないように、嬉しさは顔に出さないようにしないと。
「あらあら、ありがとうね。よかったわねぇ〜ひろし!」
母さんはにやにやと笑いながら、僕を肘でつついてくる。
「おや、容子ちゃん」
騒がしいのを聞きつけてか、奥から父さんまで顔を出した。
「おはようございまーす。おじさん!」
「おはよう。今日も可愛いねえ」
「やだ〜おじさんったら。照れちゃう。」
まったく、父さんも母さんもクッキーが大好きなんだ。
「さ、クッキーもう行こう。」
「あらあら、この子ったら照れちゃって」
「そうだ、容子ちゃん。今晩一緒に夕食を食べに来てくれないか?」
「あらいいわね!今夜は御馳走を作るから、容子ちゃんも来てちょうだいよ」
「え〜?ほんとうにいいんですか?」
「勿論よ。お母さんには電話しておくから」
「そうですか?じゃあ、お邪魔します」
「よかったな、ひろし」
「ほんとねえ〜」
…僕が口をはさむ間もなく、勝手に決まってしまった。
「い、行こう!クッキー!じゃあ、いってきまーす」
「うん。それじゃあ、おじさん、おばさん、いってきまーす!」
「いってらっしゃい!」
勿論僕もうれしかったんだけど、このままだと母さんたちに冷やかされそうだったので急いで玄関を出た。
いつもは僕がクッキーを迎えに行くので、商店街から二人で学校へ向かうのはなんか変な感じだ。
…朝の商店街ってこんなにきらきらして見えたっけ?
「何か、不思議な感じ」
クッキーが言った。
「不思議?」
「うん。うまく言えないけど。特別な感じ。」
「そうだね。僕も、…なんだか上手く言えないけど、そう思うよ」
「ところでごめんね、変に気を使わせちゃったみたいで」
「そんなことないよ。うちの両親はクッキーのこと好きだし。」
…僕もクッキーのこと、大好きだし…。
もちろん、そんなこと口に出して言えないけど。
「こちらこそ、迎えに来てくれてありがとう。びっくりしたよ」
「ううん。いつもひろし君に来てもらっているから、今日はお返し!」
僕らの通学路に立ち並ぶ桜の木も、青々と葉を茂らせている。
セミがじいじいと鳴いている。
自分の誕生日があるせいか、僕は夏が好きだ。
「あっ!」
急にクッキーが大きな声を出したから、びっくりした。
「どうしたの?」
「ああああ〜あたしったら〜もお〜」
クッキーは自分の頭をポカポカと叩いている。
「どうしたの?クッキー」
「ひろし君へのプレゼント、家に忘れてきちゃった!」
「なんだ、びっくりしたよ」
「ああ〜ん。朝一番に渡そうと思ったのに。あたしのバカ〜」
「そんなに、気を使ってくれなくてもいいのに」
「違うの!あたしがそうしたかったの!」
クッキーがそう思ってくれたなんてすごく嬉しいな。
「ひろし君ごめんね。帰りに寄って、あとで渡すね」
「うん。ありがとう。」
そんなやりとりがあったせいか、今日の僕は絶好調だった。
ありがたいことに防衛組の出動もなかったし。
クラスのみんなも、おめでとうって言ってくれた。
マリアやラブ、飛鳥、吼児、あきら…、みんなそれぞれプレゼントも用意してくれたみたい。
あの食いしん坊な仁が、給食のプリンをくれた。「プレゼント」だって。
僕はみんなの心遣いが嬉しかった。
防衛組は全員で18人いるけれど、誰かが誕生日の度にホームルームでハッピーバースデイを歌うことになっている。
今日も歌ってもらった。
照れくさいけど、やっぱりとっても嬉しい。
こういうとき、僕のクラスってまとまっていて仲がいいよな、って改めて感じる。
放課後、クッキーはプレゼントを取りに行くから、と言って先に帰って行った。
夕ご飯は6時半からだから、それまでにクッキーを迎えに行く約束をした。
放課後は仁たちとサッカーをして過ごした。
ひとしきり遊んだあと、みんなで水道で水を飲んでいた時に、知らない女の子たちが話しかけてきた。
「高森君、今日お誕生日だって聞いたから…、クッキーが好きって聞いたから、焼いてきたの。」
「あ、ど、どうも…ありがとう…」
その子たちは僕に包みを渡すなり、顔を真っ赤にして走って行ってしまった。
「ヒューヒュー。やるじゃないか、ひろし」
「お前も隅に置けないな」
げっ。
振り返ると、飛鳥と仁、あきらが立っていた。
「み、見てたの…?」
「ん。見た。バッチリ〜!」
「あの子たち、お前のファンなんじゃないの?」と、飛鳥。
「え、そんな、たまたま…」
「たまたまなわけないじゃ〜ん。いよっ、モテモテ委員長!」
「やめてくれよ〜仁」
あたふたしていると、飛鳥がにやりと笑って言った。
「それにしても“クッキーが好き”だなんて、あの子たち意味を間違えてるよな」
「え?」
「そうそう、ひろしが好きなのは、別のクッキーだもんな〜」
「クッキーが大好きって、紛らわしいんだから〜もう、ひろしってば!」
「そ、それは…」
「まあまあ。からかうなよ、あきら、仁。」
「しっかし、このこと知ったらクッキーどう思うかな〜?」
…そこまで考えてなかった。
さっきまで赤くなっていた自分の顔が、さーっと青くなったような気がする。
「そんなに心配しなくても、俺たちは告げ口はしねえよ。」
「そうそう!」
「僕たちを信用しなさい!」
…正直、仁とあきらは信用ならない気がするけどな…。
「そ・の・か・わ・り…!そのクッキー、俺らにも分けてくれよ!」
「えええ?」
「おい、仁!」と飛鳥が言ったが、
「そうそう、サッカーしたせいか、妙にお腹すいちゃってよ〜」
にやりと笑ってあきらも言う。
折角僕のために焼いてくれたからあの子たちに悪いなという気もしたけれど、一人で食べるのもなんとなく後ろめたい気もして…。
結局、そのクッキーは仁たちとみんなで食べてしまった。
帰り道、クッキーの家へ向かいながら色々と考えてしまった。
やっぱり、ちゃんと一人で食べるべきだったのかな…。
それにしても、僕はあの子たちのこと全然知らないけど、お礼とかはどうしたらいいのかな…。
仁とあきらは、本当に秘密にしておいてくれるのか…。
思いがけないプレゼントだったから戸惑ったけど、嬉しいことに変わりはない。
あの子たちが本当に僕のこと気に入ってくれてるのだとしたら…全然、想像つかないけれど…。
僕の好きなクッキーは、お菓子のクッキーじゃなくて栗木容子っていう女の子だって、言った方がいいのかな…。
でも、僕はまだクッキーに自分の気持ちを伝えていない。
クッキーは飛鳥に夢中で…。
飛鳥はそんなことないよ、って苦笑していたけれど。
どうやら僕の気持は、クッキー以外のみんなにはバレバレだったみたいだ。
そうかも知れないな。いつもと違って、クッキーのことになると冷静でいられなくなるから。
そうだ!プレゼントをもらったことは、クッキーに喋らなくていいのかな…。
いや、別につきあっている訳でもないし、言う必要はないし…。
でも、もしバレたら…、いや、クッキーは怒ることはないか…、
僕は只の幼馴染って思われているんだろうし…。
あれこれ考えているうちにクッキーの家に着いてしまった。
クッキーの母さんは、ひろし君おめでとうって言ってくれた。
おばさんは僕にプリンを焼いてくれたみたいだ。…今日はなんだかプリンに縁があるなあ…。
クッキーとともに家について、夕食が始まった。
夕食は、ハンバーグと唐揚。
ケーキまで用意されていて照れてしまう。
僕以上に、父さんと母さんがはしゃいでいた。
クッキーもずっと楽しそうで、だから僕も嬉しかった。
夕食も済んで、ケーキも食べ終わると8時半になっていた。
もう遅いんだから、ひろし、容子ちゃんを送って行きなさい。
母さんに言われなくてもそうするよ。
今日2度目の、クッキーの家への道。
夜の商店街は、あらかた明かりを落としている。
点いているのはときえや仁の家のような居酒屋や酒屋関係の店が多い。
「久し振り。こんなに夜遅くに出歩くのって。」
隣で歩くクッキーが呟く。
「ごめんよ。父さんも母さんもいつまでもひきとめちゃって…」
「ううん。とっても楽しかった。それに、夜の町ってワクワクするわね。」
「そう?」
「うん。今朝も思ったけど、今日は“特別”が多かったな」
「そうだね。」
「あ、そうそう」
クッキーは手提げ袋からごそごそと包みを取り出した。
「はい、遅くなっちゃったけど、プレゼント。お誕生日、おめでとう」
「ありがとう!開けてみてもいいかな?」
「どうぞ」
そこで、陽昇川公園に立ち寄って、プレゼントを開けたんだ。
中から出てきたのは…、大きめの巾着袋。縁に、「H」って刺繍がしてあった。
「ちょっとね、ところどころ上手く縫えなかったから…、あんまり明るいところでは見ないでね」
「これ…クッキーが作ってくれたの?」
「えへへ。ひろし君、上履き袋が古くなってたでしょ?だから、使ってもらおうと思って。」
「そんな!折角作ってくれたものに、靴なんて入れられないよ!でも、ありがとう!大事にするよ」
こんなに大きな袋を、クッキーが手作りしてくれたなんて、すごく感動してしまった。
「…?」
巾着袋の中に、何か別のものが入っているみたいだ。取り出すと…、きちんとラッピングされたクッキーだった。
「これ…」
「えへへ。あたしが焼いたの。結構上手く出来てるでしょ?」
「クッキーが焼いたクッキーか。可愛いな。これ、クマの形だ」
「そう!他にもうさぎさんとか、ほら、ひろし君のライジンメダルの形もつくったの」
「…すごいや!もったいなくて食べられないよ…」
「やだ〜、ひろし君たら。ちゃんと食べてね!」
「うん…。」
にっこり微笑んだクッキーの顔を見ていたら、昼間のことを言うべきか迷ってしまった。
「あのさ…クッキー」
「なあに?」
「今日さ、放課後にクッキーをもらったんだ」
クッキーの顔からさっと笑顔が消える。
「あのさ、でも、全然知らない子からで。その時、仁たちも一緒だったから」
「…それで?」
「…そ、それで、折角だから、仁たちも一緒に食べたんだ。」
「…ふうん。」
みるみるクッキーの顔が曇っていく。
やっぱり言うべきじゃなかった…。僕のバカ!
「か、返そうと思ったけど、その子たちすぐ居なくなっちゃったから、できなかったんだ…」
「…ひろし君」
「な、なんだい? クッキー」
「ひどいよ!なんでちゃんと一人で食べなかったの?!」
びっくりした。まさかクッキーがそう言うとは思ってなかったから。
「クッキー…」
「その子、ひろし君に食べてもらおうと思って焼いたんでしょ。あたしだったら、ひろし君だけに食べてほしいもん!」
クッキーの目に涙が溜まってきた。
僕は何も言えなかった。
「その子の気持ちのこと考えてないじゃない!そんなの、ひろし君らしくないよ!」
「……」
「あたし、もう帰る!」
そう言って駆け出そうとするのを見て、僕はとっさにクッキーの手を掴んでいた。
「待って!」
「なによお!」
もうクッキーの顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
「ごめん…ていうか、待ってよ。お願いだから」
「…なあに?」
「そうだね。僕がしたことはよくないことだったよ。今度、ちゃんと謝ろうと思うんだ。」
「……」
「でも…、なんでクッキーが泣くのさ? 僕のせいでクッキーが泣くなんて、嫌だよ。」
「……」
「確かに僕が悪かった。…でも、」
「でも、何よ?」
「でも、もしそれがクッキーがくれたものだったら、そんなことしなかったんだ。」
「どういうこと?」
「……僕にとっては、クッキーが焼いてくれたものと、他の子が焼いてくれたものとは、全然違うから」
「……」
「クッキーは、僕にとっては…その…他の子とは違うから…」
「?どういうこと?」
「いや、その…ええっと…」
だんだん気恥ずかしくなってしまった。
「と、とりあえず、ちゃんと家まで送っていきたいんだ。だから、機嫌直してくれよ」
「うん…」
公園からの帰り道、それでもクッキーは無言だった。
僕は、なんだか複雑な気持ちだった。ただクッキーを泣かせてしまったことだけは、本当に反省した。
クッキーの家に着いたとき、僕は思い切って聞いてみた。
「クッキー、あのさ…。何で、クッキーが怒ったの?」
「……」
「……そうだよね。ごめん、変なこと聞いて。クッキーは優しいから、その子たちを思いやったんだよね…」
「……」
「じゃあ帰るよ。今日はごめん。でもありがとう。プレゼント、本当に嬉しかった」
「……それだけじゃないもん」
「え?」
「うまく言えないけど…。それだけじゃないもん。」
「……」
「何でかな。あたしのより先に、ひろし君がほかの子のクッキーを貰ってたのも、なんか悔しかったし…、でも、あたしがあげたクッキーを、もしひろし君がみんなと一緒に食べてたら嫌だと思ったし…」
「クッキー…」
「きっとね、その子もあたしと同じように、ひろし君のこと考えながら一生懸命作ったんだと思うの。……そういう気持ちを、ひろし君が軽く見てたんだって思ったら、悲しくなったの」
「そうだね…うん…ごめんよ…」
そう言うと、クッキーはちょっとばつが悪そうに笑った。
「こっちこそ折角の誕生日だったのに、泣いちゃってごめんね」
「そんなことないよ」
「それより、ひろし君がさっき言ってたこと、よくわからなかったんだけど…、どういう意味だったの?」
「え?」
「なんか、あのとき気持ちがぐちゃぐちゃでちゃんと分からなくって…」
クッキーは大きな目で僕をじっと見つめている。
僕の心臓が急にドキドキ言い始めた。
「い、いや…それは…あの…。言った通りの意味だよ。」
「?え?どういうこと?」
「と、とにかく!クッキーのプレゼントは、一人で大事に食べるから!」
きっとその時の僕の顔は真っ赤だったんだろうな。
気づいているのか、いないのか。クッキーは微笑んで、そうなの。と言った。
「じゃあ、もう帰るよ。今日はありがとう」
「うん。こっちこそごめんね。送ってくれてありがとう」
「そんなこと。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
僕が曲がり角を曲がるまで、クッキーは門の前で僕を見送ってくれたんだ。
家までの帰り道、僕はクッキーの言ったことを考えていた。
とりあえず、機嫌はちょっとは直ってくれたみたいで良かった…。
クッキーは、僕のことをちょっとは気にしてくれてるのかな?
そういう期待をもっちゃっても、いいのかな…?
僕の気持ちに気づいてくれたのかな…。
そんなことを考えながら家に着くと、目ざとくプレゼントを見つけた母さんに冷やかされた。
そうだよね。いずれにしろ、このプレゼントはクッキーが僕のために作ってくれたんだもの。
今は、純粋にこのことを喜ぼう。
でもどうしよう…、このクッキー、本当に勿体なくて食べられないよ…。
今日は、すごくいろんな気持ちになった。いろんな“特別”な気持ちになった一日だった。
そんな、僕の誕生日。
その晩は、僕はクッキーのプレゼントを枕元に置いて眠ったんだ。
…次の、誕生日までには、僕の気持ちを照れずにクッキーに伝えたいな。
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