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twilight zone



「かわいいね」

そうして向けられる言葉は、いつもだったらほわりと温かい気持ちになれるのに、今このときだけはそうじゃない。


暮れていく一日の、すっかり空を覆い尽くそうと闇が駆け足でやってくる、ひろしくんが大好きな藍色の時間だったけど、ひろしくんはちっとも嬉しそうじゃなかった。

こんなときでもわかってしまうのは、あたしたちがおさななじみだから?
ひろしくんが押し込めている、隠し通せると思っている心の裏側がこんなにも明け透けに伝わっていることなんて、ほら、気づいてもいないでしょ。
だからあたしは今どういう言葉を返せばいいかさっぱりわからなくなる。




あたしたちのあいだには、言葉にしなくてもわかっちゃう瞬間がいくつかある。
嬉しいことや、悲しいこと。好きなものや、嫌いなもの。うきうきしていたり、体の調子が悪そうだったり。ああ楽しいんだな、とか、ちょっと落ち込んでいるかな、なんてこと。
おさななじみ同士って、どこのだれも同じようなものなのだろうか。

あたしのすきなもの。
ぬいぐるみ。ピンクや黄色、マリンブルー。いちご。生クリームがいっぱいのショートケーキ。ドーナツ。フルーツの匂い玉。それがいっぱい詰まった小さな小瓶。猫や犬の赤ちゃん。ガラスの透き通った感じ。昔のアニメ映画の主題歌。魔法少女が持っているステッキ。クリームシチュー。柔らかな肌触りのタオルケット。格好いいアイドル。王子様とお姫様が出てくる少女マンガ。カラフルな飴玉。お花屋さん。 寒い日に、あったかい室内から曇った窓ガラスに落書きをすること。ぴかぴかに晴れた朝。おはようと言ってくれる、にっこり笑った顔。ほかにも、たくさん。

あたしがきらいなもの。
牛乳。セロリ。レバー。みょうが。にがいもの。もそもそした固ゆで卵。大きな声で吠える犬。声に出すのも嫌な黒い虫。大きな虫やクモ、蛇やとかげ。お化け屋敷。怪談話。高い場所から飛び降りること。車の後部座席に、一人で座ること。溶けた雪がぐちゃぐちゃになった道の端。ひとりぼっちで居ること。怖い思いをすること。怒鳴り声。黒板に爪を立てる音。タバコの煙。ほかにも、たくさん。

ひろしくんがすきなもの。
プラモデルを作ること。理科の実験。探検小説。夕暮れと夜の間の空の色。河原に繁る草原。ぴかぴか光るもの。コーラ。散歩をすること。格闘まんが。ビー玉。一番星を探すこと。つもったばかりの雪を踏みしめて歩くこと。手先を使った細かい作業。青色。ほかにも、たくさん。

ひろしくんがきらいなもの。
嘘をつくこと。決まりを破ること。小さいころは、なめこ。蒸し蒸しする夏。粘土の匂い。いじめっこ。泣いてる、あたし。ほかにも、たぶん、たくさん。



だけどそんなふうにたくさんの時間を一緒にして育ってきたあたしたちにも、わからないことがたくさんあった。
ひろしくんはいつだってあたしのことを見抜いてるんだよって顔をするけれど、そしてあたしだっておんなじようにひろしくんを知ってるつもりでいるけれど。
例えば「かわいい」って言葉ひとつとったって、あたしがどんな気持ちで受け止めているかだって、ひろしくんがわかっているなんて到底思えない。

ひろしくんはあたしがかわいいなって思っているものに、素直にかわいいねって言ってくれる。
大事にしているクマちゃんや、部屋に並べたたくさんの小物や、お気に入りの髪飾り。あたしが描いた似顔絵とか、傘の色や、新しい下敷きなんかに。
「クッキー、それ、かわいいね」って。
あたしはそのたびに嬉しくなって、そうでしょうやっぱりかわいいでしょってうきうきする。

まるでお決まりの問答みたいに繰り返されるそれは、いつからかただのやりとりではなくなってしまった。
どこがボーダーラインなのかわからないけれど、ゆっくりと、でも確かにそれは変わってしまった。
あたしはそれを寂しいと思う。とても、とても寂しいことだと思う。


ひろしくん、ぜんぶわかって言ってるの?それとも少しも気づいてないの?

本当はたいしてかわいいなんて思ってないんでしょう。

「かわいいね」って言われて喜んでいるあたしを、そんなに嬉しそうな顔をして見ておいて。

あたしがいつまでも気づかないなんて思ってたの?


冷たい風が、あたしが抱えた紙袋のはじを震わせる。
いつだったか、やっぱり「かわいいね」と褒められた赤い毛糸の手袋のしたで、指をぎゅうっと握りしめた。もうすっかり冷えてしまっている。
何も言葉を返せないまま身じろぎすると、紙袋の中で、たった今ひろしくんが言ったかわいい包み紙とリボンが小さく揺れた。かわいいだなんて、ほんの少しも思っていないくせに。そんなことちっとも思ってないくせに。
楽しそうな女の子たちと、ピンクや赤のハートが溢れかえったお店で買ってきたそれは、きっとあたしたちじゃなくたって何のために使うものなのか一目瞭然だ。

褒められてうれしいはずの、いつものやりとりは宙ぶらりんのまま、歩道の真ん中に置き去りにされた。
だってこんなのぜんぜん。ぜんぜんうれしくならない。



あたしのきらいなもの。

ひろしくんの、諦めたように笑う顔。




でもそんな顔をさせているのは紛れもなく、このあたしなんだ。



「早く帰りなよ」
白い息がひろしくんの顔を覆い隠した。
「風邪ひくよ」
そう言ってうつむいて、口元を覆い隠すくらいにぐるぐると巻かれたマフラーに顎をうずめる。
馬鹿なひろしくん。どうしたってあたしのほうが背が低いんだから、いまひろしくんが誤魔化しきれなかった表情なんてわかるのに。

次第に暗くなっていく歩道の脇で立ち尽くすあたしたちを、さっきついた街灯が照らした。
細長い影を足元にくっつけて上着のポケットに両手をつっこんだまま、ひろしくんはいつもみたいに「送るよ」じゃなくって「気を付けて」と言ったきりだった。


いつもこの時間だったら、一緒に空を見上げて星を探した。

なんでこんな気持ちであたしは今立っているんだろう。

あたしたちの“いつも”は、たちどころに姿を消してしまった。つかまえる切っ掛けさえ見えなくなった。
それを寒さのせいだとか、やけに主張する街灯の光のせいにできたならずっとましなのに。
そしてきっとひろしくんも同じ気持ちなんだと思うと、泣きたくなった。


「うん」
小さくそう呟いて、あたしは歩き出す。
その角を曲がったら、力いっぱい走り出そうと思う。



ひろしくんは、あたしのおさななじみで。
いつもいつも、ひろしくんはあたしより先を進んでいると思っていた。
あたしよりも早く背が高くなって、走るのも歩くのも早くなって、知らないことをたくさん考えるようになって、大人になって。
だけど少し前で佇んで、こっちを見て微笑んで待っててくれる。ずっとそんな風だった。


どっちにも進めなくて、でもそれが安心だった。だからずっとわからないままでいたかった。
そんなあったかい場所であたしたちは、ずっといたかった。


すっかり冷たくなった両手と両足を思いっきり大きく動かして走る。
心臓がどきどきして苦しいけど、あたしはこのまま走らなくちゃいけない。
今あたしは、まさにこの瞬間、ひろしくんを置き去りにしている。
宙ぶらりんの「かわいいね」の言葉を残したまま。歩道の脇に所在なさげに立っている街灯の下、マフラーに顔をうずめたひろしくんを置いたまま。


胸が潰れそうにぎゅうっとなって、だけどもう始まってしまったことだ。



あたしはそれを寂しいと思う。とても、とても寂しいことだと思う。


<< END >>
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続き物「chocolate」のプロローグ的な位置づけで書きました。

ピクシブにまとめてupするときに、エピローグがあるならプロローグも欲しいな、ひろしと対にしてクッキーだな、という感じです。
タイトルも(自己満足ながら)ひろしのエピローグに合わせました。

幼馴染から、その先の関係は?
その変化が描きたいという思いを込めました。