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イチゴミルク

私がその人のことを気にし始めたのは、体育倉庫での出来事からだった。
中学に進学してから、3ヵ月。
小学校のときからずっと入ろうって決めていたバドミントン部へ入部して、少しずつ部の雰囲気にも慣れてきた。
毎日毎日、基礎体力作りのための走り込みと、素振りを繰り返す。
季節は穏やかな春から、じめじめとした梅雨へ移り変わり、締め切った体育館の中の空気も、心なしか湿っぽい。

練習の後片付けは、いつも1年生の仕事。
バドミントン部は人数が多いので、ローテーションを組んで分担している。
「あつ…」
練習後の体育館内は、みんなの熱気で蒸し暑い。
地区大会も近いので、先輩達の緊張感も増してきて、後輩へと飛ばされる指示もちょっと乱暴だ。
でも、好きで始めたことだし、何とか耐えられる…のかな。

その日の練習後の片付けメンバー5名のうち、1人は欠席、1人は委員会の仕事で抜けてしまい、
私を含めた3人で手分けしてやっていた。
そのうちの一人、マリちゃんが、体育倉庫にいた私のところへやってきた。
彼女は、私の前へやってくると、両手をぱしっと合わせて、拝むような仕草をする。
「ごめん!さっちゃん、あたし、先に帰ってもいいかしら?」
「どうしたの?」
「うん…今日、家の手伝いを頼まれていて…、5時までに帰らなくちゃいけないの。」
時計を見ると4時半を過ぎていた。
「そう…しょうがないなあ…」
「本当にごめんね!今度、ジュースおごるからさ!」
「はいはい。じゃあまた今度ね」
「ありがとう!それじゃ、お疲れ様!」
作業はあらかた終わっていたし、まあいいや。
最後は、ネットを入れたケースを棚に上げるだけなんだけど…。

その棚が、意外に高い位置にあった。
もう一人のアヤコちゃんも、あたしも、背が届かない。
踏み台…も、目につくところにないし…。
どうしようかって二人で困っていたところへ、誰かが入ってきた。

それが、彼だった。
「どうしたの?」
「あ…このケースを、あそこに戻したいんだけど…届かなくって」
と、アヤコちゃん。
「そうなんだ。いいよ、貸して」
「え・・・でも・・・」
そう言っている間に、彼はケースをひょいと持ち上げ、棚に戻してくれた。
「ありがと…」
「大したことじゃないよ。君たちは…バドミントン部?」
「そう…。あなたは?」
「僕? 僕は、バレー部。これから先輩達と自主練するんだ」
「そうなんだ…」
「それじゃ」
「ありがとう」

ただ、それだけの会話だったんだけど…。
私は、優しく笑う人だな、って思った。

それから私とアヤコちゃんは体育倉庫を出た。
更衣室へと戻りながら、私はアヤコちゃんに
「あの人、誰かしってる?」
と聞いた。
「うん。バレー部の高森君でしょ。1組の」
「そうなんだ。背が高いから、上級生かと思ったわ」
「そうね。結構、カッコイイ子って噂になってるみたいよ」
「へえー」
それで話はお終いになったんだけど…。
私は彼のことがなぜか忘れられなかった。



私は4組。陽昇中学は、各学年に5クラスずつある。
1組とはクラスが離れているから、今まで彼のことは知らなかった。
でもあの体育倉庫の一件から、私は全校集会や朝礼の時なんかに、彼の姿を探すようになった。
彼はいつも男の友達に囲まれていた。
でも、彼は近寄りがたいという訳でも無くて、誰にでもわけ隔てなく接しているようだった。

比較的背の高い彼は、大勢の中に居ても見つけやすかった。
学年の女子の間では、日向君や月城君が人気みたいだったが、高森君のファンだっていう子もちらほら居るらしい。
同じ4組に、彼らと小学校が一緒だった坂井さんと泉さんがいる。
坂井さんはテニス部に入っていて、活発でさっぱりした、親切な人だ。
泉さんは、背が高くすらっとした美人だが、とてもおとなしい。絵がうまくて、創作をしているという話だ。
私は彼女たちが、日向君、月城君、高森君と同じ地球防衛組だったということを知った。


地球防衛組…。
私は陽昇学区でも、地区外れの小学校出身だから、彼らのことはTVや噂でしか知らない。
彼女たちも、自分たちから防衛組のことを自慢するような人たちではなかったが、
聞けばいろいろ話してくれた。
彼女たちが5年生の4月に、いきなりライジンオーという巨大ロボットが落ちてきたこと。
それから始まった、5次元人と邪悪獣との闘いの日々。
彼女たちは、今でも出動できるように、毎日メダルというのを持ち歩いているということ。


どうやら、彼女たち地球防衛組は、固い結束で結ばれているようだ。
そして、今中学で人気のある男子は、どうやら地球防衛組のメンバーが多いらしい。
確かに、同じ4組の星山君とかは、見た目は普通の男の子だけど、
話すと楽しいし、いつもみんなのことを思いやっていて、素敵な人だと思う。
きっと、戦いの毎日が、彼らを強くしたんだろう。



私は、なるべくみんなに悟られないよう、高森君についての情報を集めだした。
彼に関する話題は、いつもいい噂ばかりだった。
バレー部では、一年生ながら、ベンチ入りを果たしているらしい。
1組のクラス委員長もしているという話だ。
私はますます彼への憧れを募らせていった。


でも、しばらくしたら、彼とよく一緒にいる女の子がいることがわかった。
2組の、栗木容子という子だった。
どうやら、高森君の幼馴染で、同じバレー部に所属しているという。
私は、2組にいる友達のところへ、辞書を借りに行くことにして、こっそり彼女を観察した。


彼女は、くやしいけれど、とっても可愛らしい子だった。
私以上に背は低いけれど、でもそれが彼女の持つ雰囲気に合っていた。
明るめの色の、さらさらした髪、大きくてぱっちりした瞳、可愛らしい声…。
きっと、大人になったら美人になるんだろうな、って思った。

彼女は、部活が同じということもあってか、よく高森君と一緒に登下校をしているようだった。
どうやら、地球防衛組のメンバーの中では、公認カップルみたいだったが、
実際に二人が付き合っているのかどうかは、よくわからなかった。


彼女には何の罪もないのだろう。
でも、私は、嫉妬した。
よりによって、高森君と一緒にいることはないのに…。
あんなに可愛ければ、別の男の子と付き合ってくれてもいいのに。


私は、2組によく顔を出すようにした。
そして、栗木さんと話をするきっかけを作ろうとやっきになった。


ある日、教科書を借りに行ったら、いつもの友達が欠席していた。
そこで、私は思い切って栗木さんに声をかけた。
彼女はちょっとびっくりしたようだったが、快く貸してくれた。

何も変哲のない只の教科書。
なのに、授業中、私は何度その教科書を破ろうと思っただろう。
…私はきっとどこかおかしかったに違いない。

教科書を返しに行く前に、私は購買でイチゴミルクを買った。
邪な、下心。
2組の教室の戸口から、私は栗木さんを呼び出した。
「教科書、ありがとう。本当に助かったわ」
「そう?良かった。え・・っと・・・」
「笹井。笹井サトミ。」
「笹井さん。えへへ、ごめん」
「そうだ、これ、本のお礼」
私はイチゴミルクのパックを差し出した。
「え?そんな、悪いよ〜。大したことしてないのに…」
「いいのいいの。気持だから。受け取って」
「そお?…ありがとう」
にっこりとほほ笑んだ彼女が可愛くて、その分、憎らしくなった。

「そういえばさ…栗木さんって、高森君と幼馴染って聞いたけど、ほんと?」
「え・・・うん・・・。でも、なんで?」
「ああ、急にごめん。なんかさ、うちのクラスの女子で高森君のこと好きな子がいてさ」
「……」
「栗木さんと付き合ってるのかどうかって、気にしてたから」
「…そう」

私は彼女に口をはさませないよう、しゃべり続けた。

「まあ、わかる気はするけどね、結構彼、人気あるみたいだし。
 でも人気者の幼馴染だと、大変ね。いろいろ誤解されて大変でしょ?」
「…え…ううん…そんな」

彼女の顔が、ちょっと曇った。
私はその顔を見て、ピンときた。
彼女は、高森君のことが、好きなんだ。ひとりの男の子として。
それは、勘ではない、確信だった。
だから、私は余計に意地悪になった。

「だから、ちゃんとその子に言っておくわ。栗木さんは、ただの幼馴染なだけだからって。
 ごめんね〜、余計なこと言って。
 結構さ、漫画とかドラマとかでは、幼馴染から恋人になるってよくあるけど、
 現実にはそんな短絡的なことなんて、ないしね〜」
「……」
彼女は、心もち俯いて、その大きな瞳を震わせている。
私は、はっとした。
何てこと言っちゃったんだろう…!

「ま、まあさ、色々しゃべっちゃったけど、気にしないで。それじゃ、ありがとうね」
そして私は、彼女の顔を見ないようにして、走り出した。
心臓が、胃が、痛かった。

それからはずっと、こころに重い何かが圧し掛かったようで、苦しかった。
自分が、酷く汚いもののように思えた。
どうしよう…。
謝らなきゃ…。
でも、私には彼女に会いに行く勇気が無かった。



そんな、重苦しい気分を抱えたまま7月に入った。
もうすぐ、高森君の誕生日だけど、心は沸き立たなかった。
それどころか、高森君の姿を見つけるたびに、栗木さんの顔を思い出した。


土曜日。
今日は後半、3時半から5時までの時間が、体育館での練習だ。
私は、その日も準備と片付けの当番だった。
体育倉庫へと入る。
すると…、たくさんのバレーボールが床に散らばっていた。
「…?どうなってんの…これ?」
どうやら、誰かがバレーボールの入ったワゴンをひっくり返したらしい。
ワゴンの向こうに、明るい髪が見えた。
…栗木さんだった。
なんだか、足を抱えてうずくまっているようだった。

「栗木さん…?大丈夫?」
私は思わず駆け寄った。
「あ…、笹井…さん…?」
「どうしたの?一体…」
「えへへ…あたしったら…またやっちゃった…」
「どうしたの?その足!」
彼女の足からは血が流れていた。傷口の周りはひどい内出血の痣も出来ている。
「大変!すぐ保健室へ行かなくちゃ!」
「だ、大丈夫よ…見た目ほどたいしたこと…」
そう言って、彼女は立ち上がろうとしたが、うまく立てないようだった。
「駄目よ!ちょっとまってて!下手に動かすとよくないかも!誰か呼んでくるから!」
私はそう言うと、外へ飛び出した。


どうしよう…あの怪我…
結構血が出てたみたいだったし…
胸が、心臓がドキドキする。


更衣室の前までくると、丁度着替え終わったらしい高森君の姿を見つけた。
「高森君!」
血相を変えた私に名前を呼ばれて、彼は驚いたようだった。
「えっと…君は…?」
「大変よ!体育倉庫で、栗木さんが怪我して倒れてるの…!」
そう言った途端、高森君の顔色が変った。
今まで見かけたことのない、私のイメージにはない、真剣な顔だった。
「なんだって?」
「あたし、今から保健の先生呼んでくるから!早く行ってあげて!」
「わかった!ありがとう!」
私は急いで保健室へと駆け込んで、先生を呼んだ。


先生とともに体育倉庫へ入ると、栗木さんを支える高森君がいた。
とりあえず、彼女を保健室まで高森君が運んで、処置をしてもらうことになった。
どうやら、骨には別状がないらしかった。
ぐるぐると包帯を巻かれる彼女の姿は痛々しく、いつもよりももっと小柄に見えた。
ただ、念のため、このあと病院へ行くことになったようだ。

保健の先生が、病院への連絡をしに職員室へ向かい、私も抜け出そうとしたとき。
「あ、待って!」
「そうだ、さっきは知らせてくれてありがとう」
「いや…、あたしは…そんな…」
「ううん。笹井さんにも心配かけちゃって、ごめんね」
私は、顔が赤くなるのを感じた。
「いいの、いいの!そうだ、あたし、何か飲み物でも買ってくるわ」
「え、いいよ、そんなに気を使わなくて」
高森君のとめる声も聞かずに、私は走り出した。


購買で、私はイチゴミルクを買った。
そして、保健室の戸を開けようと手を伸ばそうとしたとき…。
中から二人の会話が聞こえてきた。
「クッキー、大丈夫?」
「うん…ごめんなさい…ひろし君…」
「まったく、一人で片付けようなんて無茶するからだよ!」
「うん…」
「でも…良かった、大したことにならなくて…」
「ごめんなさい…」
栗木さんの涙声が聞こえてきた。
きっとさっきは、泣くのを我慢していたんだ。
処置をしてもらう間は、涙を見せなかったのに。
そして、高森君の声も、ちょっと震えていた。
よっぱど、心配しているに違いない。
二人の、世界、だな…。



私はわざとノックして入った。
そして二人の顔を見ないように、近づいた。
「はい、どうぞ」
イチゴミルクを差し出す。
すると、栗木さんがふっと笑った。
「どうしたの?クッキー」
「ふふふ。また、イチゴミルク」
「え?」と、聞く高森君をよそに、
「笹井さんは、イチゴミルクが好きなのね」と、栗木さんが微笑む。
「そう…かも…」
「あたしね、牛乳がずっと苦手だったの。だから、イチゴミルクも、笹井さんに貰うまで飲んだこと、無かったの。」
「そうだったの…」
「でもね、飲んでみたら、とっても美味しかった。甘酸っぱくて。イチゴは、大好きだから、飲めちゃったのかな」
「……」
「だからね、笹井さんには、感謝してるの。」
「…そんな」
「ありがとう」


なんでかわからないけれど、泣きそうになった。
私の、邪な下心であげたイチゴミルクを、
栗木さんは、ありがとうって、言ってくれた…。


そうして、栗木さんはストローを刺して、一口飲んで、「美味しい」って言った。
「やっぱり、美味しい。怪我しちゃって、落ち込んでた気持ちが、軽くなるみたい」
「…良かった」
「それからね」
栗木さんは、大きな瞳で、私をまっすぐ見つめてこう言った。
「こないだの話で教えてくれた人にね、伝えてほしいの。」
「…」
「あたしね、ひろし君のこと、好きなの。確かに幼馴染だけど、ひろし君のこと、とっても大事に思ってるの。」
「ク、クッキー!」
あたふたする高森君をよそに、栗木さんは言葉を続けた。
「だからね、あたしは、簡単に、ひろし君のこと譲れないの。」
そう言って、にっこり微笑んだ。
完璧な、笑顔だった。
「……そうね。つたえておくわ。」
私は、そう言うのが精一杯だった。
この子には敵わない、って思った。
「な、何?なんのこと?」
赤くなってドギマギする高森君をよそに、私たちはふふふ、と笑った。
負け惜しみみたいだけど、その時の私には、嫉妬心なんて、無かったと思う。



あれから、もう1年以上経って、また、初夏の季節になった。
時々高森君と栗木さんを見かけるけれど、二人は変わらずお似合いの恋人同士だ。
偶に、栗木さんと言葉を交わすこともある。
彼女はあれから、ますます奇麗になったと思う。
高森君への思いを語った、彼女のまっすぐな瞳。
私はまだ、彼女のように自信を持って言えないけど、新しく好きになった人がいる。
ただ、今でもイチゴミルクを飲むたび、少しだけ思い出すのだ。
ちょっと苦くて、甘酸っぱい、体育倉庫での出来事を…。

<< END >>
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また長くなってしまった。
架空の登場人物から見た、ひろし君とクッキーが中学1年の頃の話を書きました。
ひろしとクッキーが付き合い始めたのは、中1の6月あたりかな、と想像しています。
嫉妬心って、自分でコントロールできないから辛いですね。
好きな人には、付き合っている人がいて…。そういう切なさって、誰にでも経験があるのではないでしょうか。