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待合室

改札口で私は茫然とした。
陽昇中央駅の正面改札に架かる時計は、現在午後2時50分を指している。

私としたことが。
この歳になってもうっかり癖と言うものは治らないものらしい。
私が乗る予定の電車は午後3時50分だったのに、なぜ一時間も間違えてしまったのだろう。
大きな荷物を抱えたこの身で、もう一度自宅へ引き返すわけにも行かない。
大体今日は、季節外れにも雪がちらほら舞う生憎の天気だ。
喫茶店で時間をつぶせばいいのだが、寒い中もう一度外に出るのは億劫に感じられる。

入口の扉は閉め切られているというものの、駅構内も冷える。
仕方ない、待合室にでも入って待つとするか。
私はスーツケースを引きずりながらのろのろと待合室へ入った。

待合室には誰もいなかった。
今日の天候を気にしてか、駅員がストーブを入れてくれている。
そのせいか大分暖かい。
売店で暖かいコーヒーを買い、私はベンチに座り込む。

コーヒーの湯気が頬に当たった。
ひとくち飲むと幾分落ち着いた気分になる。
壁に架けられた時計を見ると、電車が到着するまであと50分。
まあいいさ、ゆっくりやろう。
私は電車の中で読もうと思っていた文庫本を鞄から取り出した。

窓の外はまだ雪が降っている。
誰もいない待合室はひっそりと静まり返って、雪の降る音まで聞こえてきそうだ。


私が10頁目を読み終わったときだった。
待合室の扉がきいと音を立てて開く。
振り向くと、オフホワイトのコートを着た小柄な女性が入ってくるのが見えた。
駅入り口で払いきれなかったと見える雪が、暖かい室内でたちまち溶けて、彼女のコートにうっすら浸みている。

彼女は私の姿を見とめると微笑を浮かべて会釈をした。
私もあわてて会釈を返す。
彼女は私の向かいのベンチに腰かけた。
マフラーを外し、畳むその手は小さく悴んでいた。
非常に可愛らしい顔をしている。高校生かと思うほど若く見えるが、薄化粧をしているところを見るとそうではないようだ。


「雪、止みそうにないですか」
私がそう話しかけると、彼女はちょっと困ったように笑う。
「ええ、それどころか、どんどん勢いが増してるみたいです」
「いやだねえ。雪は嫌いじゃないんだが、電車が遅れたら困るよ」
「本当ですね」
そう言うと彼女は窓の方を振りかえる。

「貴女は、何時の電車ですか?」
「いえ…私は人を迎えに来たんです。3時30分到着の電車です」
「そうですか。またえらく早目に来たんですね」
そう言うと、彼女は恥ずかしそうに微笑む。
「そうなんです。急いだつもりはないんですが、ついつい早足になってしまったようで」
「こんな天気ですしなあ。ま、私は3時50分の電車に乗るんですが、
 うっかりして一時間間違えてしまったんですよ。私こそ人のことを言えませんな」
そう言うと、彼女はふふっと微笑む。
その笑顔は可愛らしかった。

ふと、その笑顔に見覚えがあるような気がした。
無論、彼女とは今まで会ったことはない。
うっかり者の私だが、さすがに呆けているわけではない。
はて…?
私は心の中で首を捻った。

それから私と彼女は、ぽつぽつと話をした。
彼女が笑顔をみせてくれるせいか、ついつい饒舌になってしまう。
一昨年妻が死んだこと。
大阪に長男夫婦が住んでおり、小学5年生になる孫が居ること。
彼らとの同居を決め、これから発つところであるということ。
彼女は私の話を穏やかに聞いてくれた。
そして、少しばかり自分の話もしてくれた。

彼女は22歳で、保育士をしていること。
そして、彼女の待ち人は4年間の東京生活を終えて戻ってくるのだという。
彼女ははっきりと口にしなかったが、その人は彼女の恋人なんであろうと私は思った。
何となくだが、彼女の表情がそれを物語っている気がしたからだ。


改札口にちらほらと人が集まり出したようだ。
人々の話し声と、彼らが立てる様々な音によって、待合室の外はだんだんとにぎやかになって行く。
そして、3時半になった。
雪のために5分遅れるものの、ホームに電車が到着するというアナウンスが流れる。
彼女がマフラーと傘を手に取り立ちあがった。
私にそれでは失礼しますと告げて、待合室を出て行く。


電車が到着したようだ。
ホームから次々と人が降りてくる。
私は彼女の姿を目で追った。

ふいに彼女の表情が変わる。
白い頬がバラ色に染まり、瞳は輝きだす。
私はついつい彼女の視線の方向を追いかけてしまう。
改札口で、背の高い青年が手を振っていた。
その青年が、女性の待ち人らしかった。

彼女が小走りに駆け寄る。
青年と彼女は、二言三言、言葉を交わしているようだった。
それは、どこでも見られるような再会の様子である。

しかし、二人の表情は満ち足りて、輝いて、私にはとても眩しく感じられた。
彼らを見ているうちに、私は暖かい気持ちになる。
それは、待合室のストーブよりももっと暖かな、陽だまりの中にいるような心地だった。

二人は私の方を向いて会釈する。
私もそっと手を振り返し、彼らを見送った。
彼らは扉を開けて駅から出て行く。
青年は軒先で彼女の赤い傘を広げ、自然な動作で彼女を引き寄せる。
そして二人は寄り添い、歩き去っていった。
似合いの、本当に微笑ましい二人だった。



恋はいいものだ。
例え私自身の恋でないとしても。
歳を食った自分にさえ、こんなに爽やかな風を運んでくれる。


やがて、時計が3時45分を指し、私が乗る電車が到着するとアナウンスが流れた。
あっという間に時間が過ぎたな。
私はそう思いながら文庫本を鞄へ仕舞う。

待合室を出た。
急な冷えを感じて私の体は縮こまったが、私のこころは暖かいままだ。
再びスーツケースを転がして、改札口へ向かう。
駅員に切符を渡し、ホームへ出た。
雪はとめどなく降り続けている。
3月の陽昇町で、雪が見られるなんてそうそう無いことだ。
ふとそう考え、そして私はもうこの地に住むことはないのだと思いあたって、私は少し切ない気持になった。

電車がホームへ滑り込んでくるのを眺めながら、私はもう二度と会うことはないであろう、あの恋人たちにそっとさよならを告げた。
そして私はようやく気がついた。
彼女が微笑む表情は、亡き妻の面差しに良く似ていたことに。

<< END >>
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第3者目線による、ひろしとクッキーが22歳の3月の頃の話です。
逆・なごり雪みたいな感じをイメージしています。
うーむ。文章の拙さが隠せないので悔しいです。