back to MAIN  >>  ss top
つつゐつつ

梅の花が満開だ。
ふわりと風が吹いて,ひろしは睫毛にその風を受け止める。

散歩が好きなひろしだが,この辺りに来るのは久しぶりだった。
知らない間に新しい住宅が建っていて,よく遊んだ空地も見知らぬアパートに変わっている。
しかし,変わっていないものもある。
バランスを崩して膝を擦りむいた縁石,角地にあるお地蔵様。駄菓子屋の入口の庇。
陽昇川沿いの道を逸れて,少しレトロな街並みを抜けながら,まるで幼稚園の頃に戻ったみたいだ。と,ひろしは思う。


ひろしとクッキーが通った幼稚園。
ここの門って,こんなに低かったっけ。
水飲み場も,あの扉も。
運動場にある遊具も,今見るとこんなに小さかったのかとびっくりする。

そんなことを思いながら,運動場をぼんやりと眺めていると,
少し前を歩いていたクッキーが振り返って,ひろし君どうしたの。と言った。
腕には小ぶりだが可愛らしい花束を抱えている。
温かな風が,背中まで伸びた彼女の髪をさらさらと揺らした。

「クッキー,髪,伸びたね」
ひろしがそう言うと,クッキーは不思議そうに目を丸くして,
「ええ?なあに,急に。」
と首を傾げる。
その動きに合わせて,さらりと,髪がなびいた。
「うん?…いや,別に,ちょっとそう思っただけだよ」
変なひろし君。毎日会ってるのに。そう言ってクッキーは可笑しそうに微笑んだ。

自分でも可笑しいなって思うけど。
そう思いながら,ひろしは彼女に駆け寄った。

この懐かしい風景が,幼稚園時代の小さな彼女を思い出させたせいかもしれない。
赤いスモッグを着たクッキーと,青いスモッグを着た自分。
下駄箱に並ぶ,園児たちの内履きは,人形の靴のように可愛らしい。
ドアが開いた教室から見える机と椅子の,なんと小さなことか。
自分にもこんな時があったなんて,なんだか信じられない。
あの頃見ていた景色はどんなものだったのか,ひろしはそれを思い出せずに少し切ないような気持ちになった。
でも,あの頃泣いてばかりだったクッキーの姿は今でもよく覚えている。


「あらあら,本当に二人とも大きくなって。」
初老の婦人が2人の姿を認めて弾んだ声を出した。
髪にはちらほらと白いものが混じり,彼女の顔には皺が刻まれている。
でも背筋がピンと伸びた姿勢,張りのある声は変わらない。
そして全てを優しく包み込んでくれるような,大きな笑顔もあの頃のままだ。

「おひさしぶりです,先生」
「この度はご退職おめでとうございます。本当にお世話になりました」
二人はそう挨拶し,頭を下げる。
「やあだわ。二人ともすっかり大人っぽくなっちゃって。あたしも歳を取るわけだわね」
そう言いながら,先生は瞳に涙を滲ませる。
「先生,これ,あたしたちからのお祝いです」
クッキーは花束を手渡した。
「まあ,綺麗。ありがとうね。嬉しいわ」
先生はそう言うと,花の匂いをかぎ,いい匂い。と呟く。

職員事務室にて。
見知らぬ人が多いので,ひろしもクッキーも少し緊張したが,先生の笑顔を見るとほっとした。
先生は,二人が幼稚園生だった頃から,ここの園長を務めていたが,この3月いっぱいで定年退職をすることになったのだ。
とってもお世話になったし,ご挨拶に行きたいな。
そう言いだしたのはクッキーだった。
そうだね。一緒に行こう。僕も先生に会いたいし。
ひろしはすぐに賛成した。
ふたりとも,彼女のことをとても慕っていたのだ。

当時の担当の先生は転任されてしまい,今日は都合がつかなかったらしく会う事が出来なかった。
園長先生以外は,ひろしとクッキーにとっては見知らぬ人ばかりだ。
紅茶と焼き菓子を振舞われることになり,二人は先生の傍に座る。
「でも本当に,二人とも大きくなったわ」
先生は二人を見ながらそう言った。
「先生ったら,さっきからそればっかり」
クッキーがふふっと笑うと,先生もつられて笑った。
「そうねえ。でもね,先生にとって容子ちゃんとひろし君は幼稚園生だったころのイメージが強いんですもの」
「お二人は,今,高校生?」
紅茶を注ぎながら,別の職員が尋ねた。
「はい,4月から高校2年になります」
ひろしがそう答えると,その職員は,
「まあ。それじゃあ,卒園して10年以上経つのねえ。園長先生,成長した教え子さんが会いにいらっしゃるなんて嬉しいですねえ」
と,先生に話しかける。
「ええ,本当に。この仕事に就いて,良かったと思えるのはこういう時かもしれないわ。感慨深いわね。」
園長先生は目を細める。

「容子ちゃんは,とっても甘えん坊さんでね。ちっちゃくて可愛かったから,よく男の子たちにからかわれて。
 それで,よく泣いてあたしのところに来てたわねえ」
「やあだ,先生。恥ずかしい〜」
「今はすっかり素敵なお嬢さんになって。でも容子ちゃんは変わらず可愛いわ」
そう言われて,すっかり照れたクッキーの顔は赤くなっている。
「ひろし君も,もうりっぱな大人の男の人ね。背が伸びて高くなって。」
「ほんと。背が高いわね。何かスポーツでもやってらっしゃるの?」
「はい。部活でバレーを少し。」
ひろしがそう答えると,職員はまあすごいわね。と微笑んだ。
「ひろし君は,当時から運動することが好きな子だったものね。…二人とも,同じ高校に通ってるの?」
「はい」
「そう。今でも仲良しで素敵だわねえ。…ひろし君は容子ちゃんの騎士様だものね。」
「えっ…」
「先生,騎士様って,どういうことなんです?」
職員が目を輝かせる。
園長先生は少しにやっと笑って,
「容子ちゃんが泣き出すとね,決まってひろし君が助けに行っていたのよ。
 容子ちゃんをからかった男の子に立ち向かって行って,ケンカになったこともあったわね。
 …よおく覚えてるわ。泣いた容子ちゃんをなぐさめてるひろし君の姿。」
と言う。
「まあ,素敵ねえ。本当に騎士様ですね。」職員は手を合わせてにっこり笑う。
「あの頃から,二人はお似合いのカップルだったわよ」
先生はそう言って二人に向ってウインクした。
「せ,先生,からかわないでくださいよ」
「あたし,恥ずかしい〜」


先生に見送られて,二人は門のところへやってきた。
「二人とも,今日は来てくれて本当にありがとう。会えてとっても嬉しかったわ」
「先生,ご退職されても町内にはいらっしゃるんですよね?」
「ええ。そのうち家の方にも遊びにいらっしゃいな。」
「いいんですか?本当に押しかけちゃいますよ」
クッキーが冗談ぽくそう言うと,先生は大きく微笑んで,勿論。いつでもいらっしゃい。待ってるわ。と言った。
「それじゃあ,そろそろ失礼します。」
先生にお辞儀をして,ひろしが行こうか。とクッキーを見る。
「そうだね。じゃあ先生,また今度遊びに行きますね!お邪魔しました」
クッキーもぴょこんとお辞儀をして,二人は手を振って門から出て行く。

二人が角を曲がるまで見送って,先生は職員事務室へ戻った。
「可愛らしいカップルでしたわねえ,先生」
さっきの職員が声を掛けてくる。
「私の自慢の教え子たちですもの。…でも,いいわね,筒井筒な関係って。」
「筒井筒?…何でしたっけ,それ」
「あら,伊勢物語の一編よ。有名な話じゃない。」
「あ〜,そうでした。ええっと,どんな話だったかしら…」
「それは,自分でちゃんと調べなさいな」
ええ〜,先生。勿体ぶらないで教えて下さいよ〜。そう言う職員に微笑みながら,彼女はふと窓の外に目をやる。
彼女の目線の先には,あのふたりが気に入ってよく遊んでいた砂場があった。
…本当に,教師冥利に尽きるわね。
彼女はそう思いながら,冷めた紅茶を一口すすった。


「先生に会えて良かったな〜。ね,ひろし君」
クッキーの声は弾んでいる。
「そうだね。先生,確かにちょっとお歳は召されてたけど,相変わらず元気で変わってないなあって思ったよ」
「先生が笑うと,何故か安心しちゃうのよね。」
「そうそう」
ひろしは頷いて,先生のにやりと笑った顔を思い出す。

…ひろし君は,容子ちゃんの騎士様だものね。…

あの頃から,僕はクッキーのことを好きだって思ってたのかもな。
ただ,それを自覚していなかっただけで。

ふわりと風が吹いて,梅の花の匂いが運ばれてくる。
「ひろし君,帰りにちょっと買い物したいの。駅前に寄ってもいい?」
クッキーはひろしを見上げて,またちょっと首を傾げる。
さらさらと,長い髪が揺れた。
「勿論。」
ひろしはにっこり笑って,彼女の手を取った。



筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに

くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき



<< END >>
back to MAIN  >>  ss top
筒井筒の話で,前半はまさに幼馴染カップル万歳!という感じで好きです。
(後半は…モゴモゴ。)
この二人が,ただの幼馴染から互いに意識しだしてぎこちなくなるのは,劇中の小学校高学年ごろがピークだったのでしょうか。
いつか二人が幼稚園時代の話も書いてみたいです。私が書くと全部ラブラブになってしまいますけど。