back to MAIN  >>  ss top
ラムネ玉


「う、おーい、お前ら」
昇降口で靴を履きかえていると、廊下の向こうから篠田の大きな声がした。

既に扉に向かって歩き出していた者、靴棚の脇に居た者、靴ひもを結ぶために屈んでいた者。
子どもたちの目が一斉に同じ方向を見やると、何か荷物らしきものを抱え、額に少し汗を浮かべた彼らの担任教諭が「ちょっと待ってくれ」と呼びかけた。
「どうしたの?せんせ」
派手な色のスニーカーにすっかり履き替えた仁が、首をかしげる。



小学生最後の、つまり6年生の夏休み真っ最中だというのに、地球防衛組こと6年3組は午後の盛りの時間を邪悪獣退治に費やした。
登校日でもなければクラス全員が揃うことは滅多にない。が、彼らだけは別である。

今日は学校が夏季休暇中に開放しているプール登校日だったため、出動要請が入った時にはクラスのうち何名かは既に学校に居た。
比較的スムーズに集合できたため、邪悪獣による被害が拡大する前に手を打つことができたのは幸いだったが、プールの利用は結局中止にされてしまった。
折しも日中で一番日差しの強い時間帯に司令室に閉じこもった子どもたちは、一様にぶつくさと文句を並べながら下校準備を始めたのだった。

せっかく涼めると思ったのによ、何だよちくしょう。

飛鳥だってそのつもりだったのだ。
それに別にここまで後ろめたく思う必要はない筈であった。
出動時間と利用時間が重なったために、ずっと鳳王のために変形させられていたプール(だったもの、で、その間中はカタパルトである)の中止責任を彼に問う者など居ない。
自分のせいじゃないとわかっていても、しかし飛鳥はどこか申し訳ない気持ちになる。
それは数歩先でぶうぶう文句を垂れている仁たちに向けてというわけでは決してなくて、今日の水泳を楽しみにしていた下級生たちを思ってのことだ。

夏休み期間に入ってから、既に3度目の出動だった。
防衛組は全員揃わねばその力を発揮しきれない。故に子どもたちは遠出の旅行をすることも難しいのだ。
おかげで飛鳥は一昨年まで欠かさず滞在していた別荘での父親との釣りも諦めているし、マリアも5年生の4月以来フランスに行けていないという。
夏休みに限らず長期休暇を返上する羽目になり、平日も休日も関係なしに地球を守る子どもたちは、こうして今日もプールというささやかな楽しみも奪われているのだ。


そんな気の毒な事情を慮ってなのだろうか、今日の彼らの活躍によって被害を最小限に抑えられたとある商店から差し入れがあった。
篠田が廊下に下したケースの中に収まる鈍色に光ったものを目にした子どもたちから歓声が上がる。
表面に汗をかいたそれは、ラムネの瓶だった。


今更クーラーも無い教室で飲むのも煩わしいと、子どもたちは校庭に出てその差し入れをいただくことにした。
彼らが校舎に駆け込んだ時には真上近くにあった太陽も少し傾き、そのおかげで少し伸びた日陰を選ぶ。
銘々落ち着く先を決め、立ったまま、あるいは腰を下ろして冷たい瓶の栓を抜いていくと、そこかしこでぱつん、ぽん、と小気味の良い音が響いた。

そんな音を耳に拾いながら飛鳥は日陰になった校舎に凭れた。
温い、でも熱いと言うほどでもない風が前髪を揺らして、少し落ち着いた気分になる。
手にした瓶は半透明で、陽に翳せば微かに緑色と青色の影を作り出す。
「お疲れさま」
片手にした瓶をちょっとだけ持ち上げたひろしが、いつの間にか隣に立っていた。
「ああ、お疲れ」
開けたときに中身が吹きこぼれないよう少しだけ瓶を傾けささやかな乾杯をしたあとで、栓の蓋となっているガラス玉を押し込む。

一口含むと、炭酸がしゅわあと口一杯に広がって、それからつぷつぷとした感触に喉が喜んだ。
単純なもので、さっきまでの後ろめたさが泡と一緒に弾け飛んでいく。
冷たくて甘い、ただの水よりももっと特別なイイものだ。


「ひろしくん」
ふと隣を見ると、クッキーがまだ中身の詰まった瓶を手に持ってひろしを見上げている。
すい、と差し出されたそれをひろしは何も言わずに手に取ると、迷いのない指先でプラスチックの栓を押し下げる。
ぽんと音がして、しゅわああ、と炭酸が弾ける音がした。
「はい」
そう言ってひろしが瓶を手渡すと、クッキーはにこりと笑ってちいさく「ありがと」と呟いた。
小さな手が握る瓶の表面に浮かんだ水滴が、夏の日差しをうけてきらきらと光った。
それを少し眩しげに見やってから、飛鳥はまたひとくち自分の喉を潤した。
「なあひろし」
「なに?」
小さな後姿が別の木陰へと場所を移すのを見届けながら声をかけると、隣の少年は傍らに置いていた自分の瓶を取り上げながら飛鳥に顔を向ける。
「その後、体調はどう?」
ひろしが夏バテから回復したと聞いたのは先週のことだったか。
夏休みの宿題を片付けながら、ひろしが例年通りおこすという体調不良に真っ先に気づいて連日見張りという名の見舞いをした彼の幼馴染との関係に「もう付き合ってるの?」と突っ込みをいれたことは記憶に新しい。
あのとき普段の穏やかさに似合わない真っ赤な顔をして(熱がぶり返したんじゃないかと少々心配になった)、そんなわけないだろと怒鳴った彼の焦った表情を思い出す。
「もう平気。おかげさまで」
ひろしはすっかりいつもの顔でごくりと一口飲み込んでいる。
「それは何より」
にっこりと笑ってみせると、ひろしは何かを察したように眉を持ち上げた。
相変わらず察しのいいことだ。
飛鳥とこの頼れる学級委員長は、クラスの中でもとりわけ心安く居られる関係である。
それは飛鳥も彼も、少々大人びたところがあるせいなのか。ことさら周りの様子をみることに長けているひろしは、マリアとはまた違った意味でクラスをまとめることができる人物だ。
ただ飛鳥は知っている。そんなしっかりした少年が唯一察することができないものに。

「いつもああやって開けてあげるんだ?」
問われると思っていなかったのだろう、ひろしはへ、と呟いて目を見開く。太い眉が八の字に下がってちょっとまぬけだ。
手元の瓶を目線まで持ち上げて振ってやる。底に残ったラムネがちゃぷ、と小さな音を立てた。
「…ああ、それか」
ようやく得心したらしい彼は「そうだよ?」と答えてから自分の瓶へと目を移す。そのままごく、と一口。
瓶から唇を離してぷは、と炭酸ガスが吐き出される。
「苦手なんだよ。押す力が弱いのかも。」
だからいつも僕の役目なんだよね、と呟いた目線の先には、色素の薄いおかっぱが微かに風に揺れていた。


顔色一つ変えないまま瓶の中身を片付けるひろしは、まったく気づいていないのだろう。
彼が放ったいつもという言葉の持つ意味に。
栓を開ける役割から泣き虫なあの子を宥めることまで、いつだって自分が頼られ続けているという「特別」に。

そんなありふれた一瞬一瞬の積み重ねを、きっと自分だけが大事にしていると思っている。
果たしてそれが正解なのかどうか考えてみることすらしないままで。

まったく、じれったいほど鈍感だ。


「そっか」
ここでもう一度あのときのように突っ込んで聞いてやったら、ひろしは焦りを誤魔化そうと残りのラムネを無理やり一気に飲み干そうとして噎せるかもしれない。
流石にちょっと可哀相な気もするので、止めておいた。

―オセッカイザーになるのはもうちょっと待っていてやろうかな。

そんなことを考えながらすっかり空になった自分の瓶を振ると、瓶の括れでガラス玉がからからと音を立てた。

「ずっと昔にさ」
横を見やると、同じようにひろしは空き瓶を振り出す。
「どうしてもこれを取り出してくれって、泣かれたんだよね」
「ふうん」
「だから僕もなんとか取り出そうって頑張った」
ふっと眼だけで微笑んで、まあ無理だったんだけどと続ける。
「小さいころは、仕組みも理屈もわかんないもんな」

自分だって小さいころは、瓶の中できらきら光るガラス玉が欲しくてしょうがなかった。
父親に無理を言ってどうにか取り出してもらったそれは、でも、手のひらで転がせば途端に魅力を失った。

「今」
「ん?」
「今もしまた、取り出してくれってねだられたらどうする?」

瓶を傾ければからりと音がする。
取り出せないと判っているから欲しくなるのだろうか。

「もし欲しいって言うんだったら」

例えそれがただのガラス玉だとしても。

「何度だって取り出そうとするんだよ、きっと」

静かな声でそう言いながら、ひろしの人差し指は表面の水滴をすいと拭い取っている。



<< END >>
back to MAIN  >>  ss top
飛鳥視点で、心意気だけはひろし×クッキーのつもりでした。
ラムネのモチーフでもっと色々書きたいものがあったのですが、それはまた別の機会に…。

絵の小ネタまんがで描いた夏バテ話と、ちょこっとつなげています。