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そらのしたで >>絆創膏1

「はい,これでお終いよ」
姫木がにこりと微笑んだ。
「…ありがとうございます」
すん,と鼻をすすり小さく呟くクッキーはうなだれたままだ。
「クッキー,そんなに痛むの?」
傍らに立つひろしが心配そうにその顔を覗き込むと,ふるふると首を振る。
「ちょっと擦りむいただけだから,すぐに治るわよ。さ,練習に戻りなさい」
明るい声で姫木が告げると,ようやくクッキーは立ち上がる。
「ありがとうございました。失礼します」
ひろしはそう言って頭を下げると,戸口を開ける。
クッキーはちいさくぴょこりと一礼して,小走りにひろしの後を付いて出て行った。

開け放たれた窓からふわりと風が舞い込み,姫木の髪を揺らす。
運動場から,耳になじんだ音楽が聞こえてくる。
…オクラホマミキサー,だったかしらね。
姫木は窓の外を見遣って微笑んだ。

廊下の空気はひんやりとしている。
未だうつむいたまま歩を進めるクッキーを見下ろして,ひろしはどう慰めようかと思案した。
何かいい言葉はないものか,ぐるぐると考え続けていると,ぽつりとクッキーが,
「ねえひろしくん,お願いがあるんだけど」
と言う。
「なに?」
お願いという言葉にひろしは弱い。それを発するのがクッキーだと,彼にとってはもう受け入れるしか選択肢はないのだ。
たとえそれがどんなお願いであっても。
「あのね…」
「うん」
「…やっぱり,いい」
「どうしたの?僕に遠慮なんかすることないよ」
「でも…」
「クッキー」
なおもひろしが食い下がると,クッキーは顔をあげてひろしの眼をじっと見る。
うるんだ瞳にまっすぐ見つめられると,ひろしはどうも調子が出なくなってしまう。
僕の顔,赤くなってないかな,などと思っていると,ようやくクッキーが口を開いた。
「みんなには内緒ね」
「う…うん…」
「あのね…お願いって言うのは…」



運動場のトラックをぐるりと一周するように,子どもたちが列を作っている。
ただ,列の一角だけは不自然に乱れていた。
6年3組である。
「飛鳥く〜ん,次はあたしと練習してよ」
「いやよ,ポテトったらずるい,次はあたしでしょ」
「あの…あたしとは後で練習してくれればいいから…」
クラス一,いや,学校一のモテ男の周りには,親衛隊の女子が群がっている。
「あ〜みんな,ちょっと待って」
「ねえ,飛鳥君,次はあたしと,よね?」
「き,きらら,落ち着いて…あ〜ポテト,腕,腕が痛いってば!」
モテ男飛鳥には,どうやら拒否権というものはないらしい。


運動会本番日まであと2週間ちょっと。
ここのところ体育の授業は勿論,特別授業枠や放課後はすべて運動会の練習と準備だ。
今日は午後の授業を運動会練習に充てていた。
先ほどから行われている,学年合同のフォークダンス練習もその一部だった。

飛鳥と女子の様子を不貞腐れたように見ていたあきらが,わざと大きな声を出す。
「せんせ〜,女子が真面目に練習してませ〜ん」
「どうせ順番が来たら回ってくるんだろ,はやく列に戻れよ」
ぶつぶつと言ったヨッパーに向ってべえと舌を出したきららが,
「やあだ,飛鳥君がモテるからって嫉妬しちゃって格好悪い」
とからかう。
「こら,いい加減にしろよお前ら。他のクラスはもう並んでるんだぞ」
音響を調整し直して戻ってきた篠田が呆れたようにそう言って,女子を諌める。
やれやれ,と苦笑いしたマリアの横で,
「あ,戻ってきた」
と吼児が昇降口を指さす。
見れば,小走りにこちらへ駆けてくるクッキーとひろしの姿があった。
マリアはクッキーに駆け寄る。
「クッキー,大丈夫?」
「あ〜ら大きな絆創膏を貼りつけちゃって,クッキーったら可愛い」
「きららちゃん…」
「ちょっと,きらら!」
きららを制止したマリアに向って,クッキーは額を抑えながら
「ちょっと擦りむいただけだから,すぐ治るって姫木先生が言ってたから,だいじょうぶ」
と恥ずかしそうに告げた。
「そう,よかった」
「さ,二人とも列に混ざれ,練習を再開するぞ」
「はーい」
篠田に促された2人が列に戻ると,音楽が流れ始めた。

音楽に合わせて,踊る。
それだけなんだけど,ちょっと気恥ずかしい気持ちになる。
別に意識することでもないのだけれど…。

一小節が過ぎて,次の相手に変わる。
マリアの次の相手はひろしだった。
「痛っ」
「…あ!ごめん」
こんな簡単なターンで,失敗する方が珍しい。
踏まれた足を気にしながら見上げると,申し訳なさそうにこちらを見る眼差しとかちあう。
ひろしがぼーっとするなんてあまりないことだから,ちょっと気になった。
「…どうかした?」
「ううん,気にしないで。ごめんな」
音楽が変わる。

…なんだかひろしくんの様子,変だった。
ひろしの姿を目で追うと,その後方につんつんと跳ねる黒髪が見えた。
その途端,マリアの意識は,2小節分あとで自分と組むことになるであろう相手へと移ってしまう。
どうやったら意識していないようにふるまえるのかしら…。
マリアの頭の中はその考えでいっぱいになっていた。


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