back to MAIN  >>  ss top
夏の魔物 >>氷菓子

駄菓子屋の軒先で,カキ氷の入った容器を手に持ちながら,マリアは友人の顔を覗き込んだ。
しゃくしゃくと小気味良い音を立てながらスプンにひと匙盛って口に運んだれいこが「食べないの?」と囁く横で,きららは我関せずと言った体で自分の氷に熱中している。
友人らに気を使われた小柄な少女は,目の前の赤いシロップが掛かった氷を見つめたまま,先ほどから微動だにしない。
「…早く食べないと溶けちゃうわよ」
あっという間に容器の半分を食べ終えてから,呆れたようにきららが呟いた。
直射日光を浴びていないとはいえ,屋外にいるものだから,氷はみるみるうちに液体へと姿を変えてしまう。
「……。」
「クッキー?」
名前を呼ばれてようやく,少女はスプンを動かし始める。
氷に赤色が侵食していく。
さく,さく,さく。
「おなかでも痛いの?」
黄色く染まった舌をちょろりと覗かせながら,れいこが再び問いかけた。
「ううん」
「勿体ないよ,美味しいのに」
「…うん」
じいじいと蝉が鳴いた。
(こりゃまた厄介な喧嘩でもしたのね…)
察しの良いマリアが,このあと聞き出すことになるであろう相談を思い浮かべて,コッソリと小さなため息を吐いた。



「いいのかあ?もらっちまって」
そう言い終わる前に手を伸ばした仁の満面の笑顔を横目で見遣り,吼児は苦笑いをする。
手にした匙を口に含むと,甘いバニラの味が広がった。
「気にしないで。なんか食欲なくて」
たはは,と力なく笑うひろしは,先ほどから元気がない。
「夏バテ?」
そういえばこの時期,よく体調を崩すんだって聞いたことがあるな。
誰から聞いたんだっけ?
頭の中にあるはずの,記憶を引っ張り出そうとしばし目を閉じていると,「ちがうちがう,大丈夫だよ」と慌てた声がした。
「そう?」
目を開けて顔を覗き込む。
やはり笑顔に元気がない。
中学生になったのに,相変わらず宿題を溜めこむ仁に付き合って,こうして部屋に集まって「仁に」勉強を教えるという名の作業をする。
実際はほとんど「仁が」書き写しているようなものだったが。
こんなズルをすると良い顔をしないひろしが,心ここにあらずといった様子だったため,吼児は少し気になった。
窓に吊るされた簾を通して,少し勢いを削がれた陽の光が机の上にちらちらと模様を作っている。



「…成程。そういうわけね」
口元に手をやってうむ,と頷いたれいこの頭越しに,きららが「そりゃ怒るのも無理ないわよ」と言い放った。
「しかしひろし君がそんなことする奴だったとは〜。見損なったわ」
呆れたようにそう言葉をつづけて,きららは「クッキー,簡単に許しちゃ駄目よ」と念を押す。
「……。」
うつむいたクッキーの,手元に残った容器は,ほとんどぐずぐずに溶けてしまった氷苺の小さな池が出来ていた。
「でもさ,本当にそうだったの?ちゃんと確かめたの?」
マリアが小さく問いかけると,小さな顔が不意にこちらに向けられる。
「だってそれ以外考えられないよ?ひろしくん慌ててたし,咄嗟にゴメン,って言ってたもん」
「まあ,状況証拠が揃ってるわけだしねえ」
れいこがそう続けて,マリアは口を噤むことになる。
ポーンポーンポーン,と店内の壁掛け時計が3回続けて鳴った。
「あ いけない」
そう言ってれいこは立ち上がり,脇に置いていた空の容器を持ち上げる。
「あたし約束があるんだった。もう行くね」
「そうなんだ」
「やだもう3時? やば〜いあたしも」
きららが自分の赤い腕時計を見て,立ち上がる。
ばたばたと音を立てて容器を店に返すと,二人の少女は振り返った。
「いい?十分反省するまでいい顔をしないこと!付けあがらせたら駄目なんだから!」
「また何かあったら言ってね」
そう,口々に言い置いて,急ぎ足でそれぞれの目的地へ向かうべく去っていく。
「……あたしたちも,出ようか」
「……うん」
店を囲む木々からは,まだじいじいと蝉の合唱が響いている。



店番があるから帰るわ。
そう言って慌ただしく仁が部屋を出て行ってしまうと,騒がしかった室内が急にしんとする。
勉強机に置かれた,小さな目覚まし時計の針は,もう夕方であることを示していた。
見送りから帰ってきたひろしの足音が響いて,吼児は時計から目を離す。
「…まったく仁くんは」
自分の用事につき合わせておいてこれだもんね,と茶化しながら,吼児はノートを鞄に仕舞う。
「僕もそろそろお暇しようかな」
「いいよ,ゆっくりしてってよ」
ベットに背を預けながら,ひろしがゆっくりと微笑んだ。
「ねえ」
「ん?」
「ほんとに…体大丈夫なの?」
「やだな」
にへら,と笑ってひろしは胡坐をかいた。
「ご心配なく。夕飯はしっかり食べるからさ」
「ならいいけどさ」

ははっ。
そう二人で笑いあってから,一瞬の間が部屋に広がる。
「……。」
「……。」
「…なにか,あったの?」
「え?」
「今日,なんだか様子が変だよ」
「そう?いつもと変わらないよ」
「本当に?」
「―やだなあ吼児ってば。心配ご無用だって」
「……。」
納得行かないといった表情をしていたのだろう,ひろしはおどけて見せる。
「なあ,良かったら夕飯食べてかないか?母さんが食ってけって言ってるんだけど」
「え,でも悪いよ」
「そんなことないって。遠慮もご無用」
「そう…?」

うんうん。とにこにこしながら頷くひろしの,しかし何となく力の入ってない目尻や口元を見ていると。
何故だか,このまま帰って一人にして置きたくないような,
実は結構本気で僕に居てほしいと思ってるんじゃないかとか,
一人にしたら寂しがるんじゃないかとか,
そんな,
そんな取りとめもない,漠然とした気持ちが吼児の心に広がって,
「わかった。じゃあご馳走になろうかな」
そう,笑顔で返していた。


next >>
back to MAIN  >>  ss top