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リミット

今朝,難志中学から合格通知が届いた。
母さんは大袈裟なくらい喜んで,出張中の父さんに電話を入れていた。
今日はご馳走ね,って満面の笑みで僕を送り出した母さんに,帰宅後どうやって説明しようかと考えて不安になった。

合格したのは勿論嬉しい。
結局塾には通わず,勉や先生の協力があったとはいえ,自分の力で難関を突破することができたのだ。
自分の努力が認められると,やっぱり嬉しいって思う。

ただ…,僕は難志中へ進学するつもりはなかった。
母さんたちには言えなかったけれど,難志中受験を決めたのは自分の実力を試したかったからだった。
昔の僕だったら,進学校へ行くことは将来のためにどうしても必要だって思っただろう。
だけど僕はもっと大事なものを見つけた。
机にかじりついているだけの毎日じゃ見つけられない素敵なことが,この世界には沢山溢れてるんだって気付いたから。
僕はそれを,もっともっと知って行きたい。
皆と一緒に。


母さんたちをどうやって説得したらいいかをぐるぐると考えていたら,僕を呼ぶ声がしてハッとなった。
きららだった。
…そうだった。今日はあの日だったんだ。

きららがくれたチョコレートは,結構大きかった。
手に持ったまま学校へ行くのも何なので,ランドセルに仕舞う。
僕らはそのまま一緒に学校へ向かった。
途中途中で色んな女の子が話しかけてくる。
その都度僕は感謝を述べる。
ありがとう,嬉しいよ,と。
そんな僕の様子を,きららは少し離れた場所から見ていた。

校舎へ入るころには,僕のランドセルの中身はぎゅうぎゅうになっていた。
ロッカーに予備の手提げ袋があったかな,と思いながら昇降口へ向かう。
大変ね,と僕に同情するきららのどこか力の無い笑顔を見ながら,僕はどうかした?って聞いた。
きららはなんでもない,としか返してくれなかった。


今日はまったく忙しかった。
靴箱に溢れかえる贈り物,休み時間ごとに誰かに待ち伏せされ,呼び出され。
みんなが僕に寄せてくれる好意は嬉しいけれど,さすがの僕も少々くたびれる。

ファンクラブの皆からも,それぞれ心のこもったプレゼントを貰った。
うん。光栄だね。
きらら,ポテト,ゆう,れいこ,美紀,ときえ…,贈り物にも個性が出ていて可愛らしい。
皆の気持ちがとっても嬉しい。
アイドルでいるのは楽しいことばっかりじゃないけれど(ホワイトデーのことを思うと小遣いの事が不安になるし),やっぱり嬉しいものだ。
僕は「みんなの飛鳥君」でありたいと思っている。
そして僕は僕に寄せられる好意を素直に受け止める。
誰かに寂しい思いを抱えて欲しくはないから。


だからクッキーには,そういう僕として返事をした。
みんなの飛鳥君として。
これが僕なりの,クッキーへの誠意だと思う。


僕なりに,クッキーたちのことは見守っているつもりだ。
クッキーがどんなつもりで僕を呼び出したかなんて,あの子の表情を見れば察しがつくことだった。
だから僕はああ,ついに来たんだな…って思った。
そして今朝のきららが何となく元気が無かった理由も分かった気がした。

クッキーは全部わかっている筈だ。
僕の気持ちも。あいつの気持ちも。

あの子はただ,自分のほんとうの答えをまだ言葉にしたくないだけ。
大事に大事に,温めておきたいのだろう。




荷物を取りに教室へ戻る途中,ひろしに会った。
ひろしは僕の顔をじっと見て,…じっと見るだけで何も言わなかった。
僕も何も言わなかった。
あいつは僕のことを時々オセッカイザーだとか言うけれど,今度だけは僕は何もしてやらない。
これはあいつ自身が知って行かなきゃ意味がないからだ。

…なんだろな。
なんだか,僕がふられたみたいな気分だ。
ここまで肩入れしちゃうなんて,アイドルに有るまじきことだよね。



教室に入ると,夕陽が窓一面に広がっていた。
ガラス越しの空から注ぐのは,薄紫とピンクとオレンジとブルーで出来たスペクトル。
「お帰りなさい」
それを背に受けながら言ったのはラブだった。

「…ラブ」
「良かったら,一緒に帰らない?」
ラブの顔は逆光でよく見えなかったけれど,声の調子から彼女が微笑んでいるらしいことが分かる。
「…勿論,喜んで」

ラブはうすい木綿でできた袋を差し出した。
「荷物,多いでしょ。良かったら使って」
「ありがとう,ラブ。助かるよ」
本当に助かった。ランドセルは朝で一杯になってしまったし,予備の袋を使ってもまだ入りきらなかったからだ。
ロッカーにとりあえず仕舞っておいたチョコレートたちを袋に詰め終えると,目の前にすっと赤い包みが差し出された。
「増えちゃって悪いけど,あたしから。…受け取ってくれる?」
「ありがとう,ラブ。嬉しいよ」
僕はにっこり笑って見せる。
今までそうしてきたように。

そしたら,ラブは僕に負けないくらいにっこり笑った。
「いつか,飛鳥君がそんな表情できなくなるくらい喜ばせたいわ」
「…え?」
ラブは何を言いたいのかわからなくて,僕はぽかんとなる。
「でもいいの。今はそんな飛鳥君でいいと思うわ」
「ラブ?…どういうこと?」
クエスチョンマークが浮かんだままの僕を見ながら,ラブはくすくすと笑って,さあ帰りましょ,と言った。


「…僕さ,今日合格通知もらったんだ」
「合格って,難志中?」
「そう」
日が暮れかけると,風も途端に冷たくなる。
両手に持った袋の重みが,僕の歩みを鈍らせる。
「おめでとう。良かったわね」
「うん。…ありがとう」
「…それじゃあ,飛鳥君とは中学が別れちゃうのね」
寂しいわ,と言ったラブの声が本当にさびしく響いて,僕は顔を上げる。
「いや。僕は難志中には行かないよ」
そう言うと,ラブは大きな目を見開く。
見開いたけど,ラブは小さく「…そう」とだけ言った。

僕は本当はどうして?って聞いて欲しかった。
僕が思っていることを話して背中を押してもらいたかったからかもしれない。
けれど,ラブは何も聞かなかった。聞かない代わりに,
「…これからも一緒の学校だったら,嬉しいわ」
とだけ言った。
多分その言葉だけで,僕は十分だった。


歩きながら,僕はクッキーの顔を思い出す。
可哀想になるくらいぶるぶると震えて,手をぎゅっと握りしめたあの子は,それでも真っ直ぐ僕を見上げていた。
だいすきですと言われて嬉しいはずなのに,その時僕が感じたのは寂しいという気持ちだった。

ずっとこのまま変わらないで居られるわけじゃないって告げられたような気がした。
小さくて泣いてばかりだったクッキーが,いつのまにか一歩進もうとしている。
僕とあいつとあの子の関係も,これから変わって行くのだろう。
それだけじゃなくて。勿論それだけじゃなくて。
僕らみんな,もっともっと変わって行く。


「…ラブはさ」
「うん?」
「ラブは,変わることが怖いって思う時,ある?」
「……」
「この先僕らは中学に上がって,そして皆どんどん世界が広がって」
「……」
「…ごめん急に。ヘンなこと訊いちゃったね」
「ううん。…飛鳥君は怖いの?変わることが」
「怖いのかなあ。…変わることは止められないってわかってるんだけど」

僕らが小学生で居られるのも,あと少し。
中学へあがったら,また新しい世界に出会って行くだろう。
…僕は皆と一緒に居たい。これから先もずっと。
でもきっと,同じ様には居られない。

僕は,変わることを恐れているのだろうか?


「あたしは,楽しみだわ」
ラブが呟く。
その声が軽やかで,僕は思わずラブの顔を見つめてしまった。
「…恐いよりも,ワクワクする気持ちの方が大きいの」
「ラブは,…強いね」
「…強くなんかないわ。ただ,信じてるだけよ」
「信じてる?」
「あたしたちはきっといい方に変わっていけるって。」
そう,信じてるだけよ。
ラブはまるで僕を励ますように,笑った。


そうか。
そうだったね。

僕はちょっと不安に思っていたんだ。
難志中へ行かないことへの理由が,皆と離れたくないからだっていうことが,逃げのように思えてしまって。
一人ぼっちが寂しいと,不安に思っている自分が情けなくて。

でも皆と離れるのが寂しいと感じることは,確かに以前の僕には無かったことだろう?

そして僕は,そんな自分がちょっと好きだったりするだろう?


この先僕は変わって行くだろう。
そして皆もまた変わり続けて行くんだろう。

きっときっと,良い方に。
もっとずっと,良い方に。


何が正解かなんてわからない。僕の選択が正しいかなんてきっと誰にも決められない。
今夜僕の気持ちを話したら,母さんたちはきっと苦い顔をするんだろう。
でも大丈夫なんだって言おう。
僕を信じて欲しいって,言おう。
僕はこのままただ,信じて,進んでいけばいい。

「僕も信じるよ」
声に出したら,すっきりした。
ラブが嬉しそうに,大きく頷いた。


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