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僕の手と、君の肩に降る 2

雨はますます勢いを増している気がする。
居間のレースカーテンを捲って外を窺う。どんよりと薄暗い空。
さっき、お父さんとお母さんが慌ただしく出かけて行った。
今朝早く、北海道の親戚のお爺さんが亡くなったそうだ。
あたしにとっては大叔父にあたる人だそうで、あたしは会ったこともない。
連休中だとは言え、急な出来事で朝からうちの中は慌ただしかった。
行き先が北海道と言うこともあって、あたしは火曜日まで一人留守番だ。


容子、一人でも大丈夫?何かあったら高森さんにお世話になりなさいね。
そうお母さんは言っていたけど、あたしだってもう中学生になったんだもん。2,3日くらい何とかできる。
ただ、色々荷物を抱えて急いでタクシーに乗って行った二人が居なくなったら、家の中が急にしーんとしてしまって、
それがあたしを心細い思いにさせた。


こんな天気じゃなかったら、外に出かけでもするのにな。
折角部活が無くなったって言うのに、何も予定がない休日は暇だ。
午後を過ぎたというのに空は薄暗い。なんだか、気分まで滅入ってくるみたいだ。

紅茶でも淹れよう。
やかんに水を注ぐ。
ガス台のスイッチを捻るかちかちという音。
棚から紅茶の缶を出してポットに入れる。
お盆にカップとティーコゼーを用意して。


指先が冷えてくる。もう6月だって言うのに今日は気温も低いみたい。
あたしはすぐ冷える性質だ。
カーディガンの袖をひっぱる。
袖口からのぞく手首にはまだ赤黒い痣が残っている。



手足の傷を見るたび、あたしはひろし君の顔を思い出す。
ひどく傷ついたような悲しい怖い顔。
ひろし君はとても優しい。あたしの傷なのに、あたし以上に辛そうにしていた。
彼のあんな顔、あたしはあまり見たことが無かった気がする。


あたしはいつも彼に心配を掛けている。
ひろし君に頼らなくても、一人で何でも出来るようになりたいのに、なかなか上手くいかない。
マリアちゃんはあたしはあたしのペースで頑張ればいいんだって言ってくれたけど…。
最近のひろし君は、なんだか急に大人っぽくなってしまった。
そして、時々あたしの知らない人みたいな表情をすることがある。
そのたび、寂しいような、置いて行かれるような、焦るような…、あたしの気持は複雑になる。


これまではひろし君はいつもあたしの近くに居た。
でも中学に上がってからクラスが離れて、部活も忙しくなって、前のようにいつも一緒にいることが少なくなってしまった。

ひろし君と同じ1組になったきららちゃんとれいこちゃんは、偶にひろし君のことを口にする。
どうやらひろし君に憧れている女の子は結構多いらしい。
確かに、小学校の高学年くらいからちょくちょくそういう話を耳にしたことはあった。
でもその時はあまり気にしたことはなかったと思う。だってひろし君自身は変わらなかったもの。
ただ、最近はその話を聞くたび、胸の中に重石がのっかっているように苦しくなる。
焦っているのか、嫉妬なのか、あたしはその気持ちにちゃんとした名前をつけることが出来ない。



しゅんしゅんとやかんの口から湯気があがった。
またぼーっとしちゃった。ここのところのあたしはすぐぼーっとしてしまう。
急いで火を止め、やかんに手をのばす。
取っ手が意外に熱くて火傷しそうになる。


…高を括っていたのかもしれない。もしかしたら。


小さい頃からずっと一緒に居て、まるで兄弟のように育ってきて。
ひろし君のことは好きだけど、それがどういう種類の好きなのかよくわからなかった。
ひろし君があたしのことを好きだって言ってくれた時からも、あたしたちの関係は特に変わらなかった。
彼はあたしに答えを求めなかったし、あたしはその優しさに甘えていたのかもしれないけど。
仲の良い、幼馴染。あたしには、それで充分だったんだ。…これまでは。



あの日、あたしははっきりと自覚してしまった。
あたしの怪我で、ひろし君を怒らせてしまった日。あの日の夜。
自覚した瞬間はあっけなかった。
照れて赤くなった彼を見ていたら、急に自分の気持ちに説明がついたのだ。

…あたしはひろし君のことが好きだ。ただの幼馴染というだけじゃなくて。

でもそれ以来、あたしはひろし君の目を見ることができなくなってしまった。
照れくさいというのもあって、妙に意識してしまって素直になれない。
ひろし君の表情ひとつひとつ、しぐさのひとつひとつに過剰反応してしまう。
照れくさくて目が合わせられないくせに、あたしの目はいつもひろし君を探してしまう。


いやだな。
ようやく自分の気持ちがわかったのに、その途端ひろし君に素気ない態度をとってしまって。
このままじゃ嫌われちゃう。

そう思うのに、あたしは自分をコントロールできなくなって、そして混乱してしまう。
それまで、彼の前で自分がどんな風に振舞っていたのか思い出せない。
どんな風に笑って、どんな声でしゃべって、どんな風に歩いてたんだろう。



紅茶を飲んで、ベッドの上に座って、クマちゃんを手に取る。
クマちゃんは、ぬいぐるみの中でも特にお気に入りだ。
5年生の時、クマちゃんは邪悪獣になったことがあった。
…あの時も、ひろし君があたしを助けに来てくれたんだ。
クマちゃんの頬っぺたを指で突いて、あたしはため息をついた。




遠くで何かの音がして、あたしは目を覚ました。
どうやら、あのまま眠ってしまったらしい。
…電話の呼び出し音だ。
時計の針は、午後4時半を指している。
お母さんかな?


急いで廊下へ出る。
うちは最近電話を新しいものに変えた。新しい電話は、コードレスだ。
1階には本体、2階に子機が置いてある。
オフホワイト色の、つややかな丸いフォルム。


「はい、栗木です」
「あ…もしもし、ひろしだけど」
「えっ…うん。…どうしたの?」
その声を聞くだけでどうしてこんなにドキドキしちゃうんだろう。
「お昼過ぎに、おばさんからうちの母さんのところに電話があってさ。
 今日から、おばさんたち北海道へ行ったんだろ?」
「うん。そうなの。遠いからあたしはお留守番」
「大変だね。それでさ、クッキーしばらく家にいる?」
「うん。雨降ってるし。特に用事ないから」
「そう、良かった。実はさ、うちの母さんがクッキーに夕飯用のお弁当を作ったから届けろって。
 これからクッキーの家に行こうと思うんだけど大丈夫かな?」
「う、うん。でも、お弁当なんて…、おばさんに迷惑かけちゃって悪いみたい」
「いいんだよ。あの人好きでやってんだから。じゃあ、これから向かうから」
「あ…」
「ん?何?」
「…ううん。何でもない。分かった、気をつけてきてね」
「うん。それじゃ、後で」


つうつうつう。
電話が切れて、受話器から無機質な音が流れる。


「やだ…どうしよ」
ひろし君が来るなんて、いつものことなのに、なんだかすごく緊張する。
とりあえず、寝ぼけたこの顔をしゃきっとさせて、もう一度お茶の準備をしておこう。
あたしはスカートの裾を伸ばして立ちあがった。



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