帰り支度をするひろしの傍に,クッキーがやってきた。
「ひろしくん」
「ん?」
「このあと,だいじょうぶ?」
そう言いながら上目遣いで自分を見上げるクッキーは,いつもの調子を取り戻している。
ただ,額に大きく貼りつけられた絆創膏だけが,痛々しくひろしの目に飛び込んでくるだけ。
一瞬目を泳がせる。
絆創膏から目をそらしたまま,取り繕うように笑顔を作った。
「えっと…」
ひろしが次の言葉を絞り出す前に,ヨッパーとあきらが傍へ寄ってからかい出す。
「ひゅーひゅー。お熱いねえお二人さん」
「このあとデートでもすんのかあ?」
邪悪獣・ハツコーイ騒ぎの後も,こうしてひろしをからかいに来る2人。
ひろしは少しほっとする。
いつもなら,放っておいて欲しいと思うのだが,今回だけはその冷やかしがありがたかった。
「もう…そんなんじゃないもん!」
クッキーは頬を膨らませて反論する。
一方,ひろしはへにゃりと笑っただけで何も言わなかった。
「…?」
「…なんだよ,へんな奴」
いつもならば顔を真っ赤にして照れるひろしが乗ってこなかったので,あきらは不満げだ。
「…ひろしくん?」
クッキーも不思議そうにひろしを見上げた。
「高森くーん」
教室の戸口から大きな声がして,4人は振り返る。
「…あ」
ひろしは小さく呟くと,戸口のほうに向きなおった。
戸口には他のクラスの女子が立っており,ちいさく手を振っている。
「ちょっと待ってて」
ひろしは件の女子にそう告げると,クッキーに向き直る。
「ごめんクッキー,このあと会議があったんだ。また今度でいいかな」
「う,うん…」
「そう。じゃあ僕行くね」
そう言うと,ひろしは慌ただしく引き出しから書類を取り出し,教室から出て行った。
「誰?今の」
「確か,1組の学級委員長じゃなかった?」
「あ〜そうだった。どっかで見たと思ってたんだ」
「結構可愛いよな〜」
からかう的が居なくなってつまらなくなったのか,あきらたちは帰り支度を始める。
クッキーはランドセルを抱えたまま,ぼーっと戸口を見つめた。
「クッキー」
名を呼ばれてびく,と肩を揺らす。
「クッキーも一緒に帰ろうよ」
振り向くと飛鳥が笑って手を振っている。
「…うん!」
笑顔でそれに応え,クッキーは飛鳥たちに走り寄った。
「仁,応援団会議がはじまっちゃうわ,急いでよ」
飛鳥を囲んだ女子の一団が教室を出ていく横で,マリアが仁をせかした。
「わーってるよ」
そう言いながら,仁はマリアが手にしたプリントの山をもぎとる。
「…重いだろ」
「…ありがと」
仁はぷいと横を向くと,足早に教室を出て行く。
「あ,仁待って!」
「…は?」
どしん!
「痛って!」
ぱらぱらと,プリントが宙に舞う。
尻もちをついた仁の前で,同じように倒れているのは2組の谷口だった。
「おい〜,気をつけろよ」
「わりぃわりぃ」
「大丈夫,二人とも」
とりあえず,3人で廊下に散らばったプリントを拾い上げる。
その動きに合わせて,仁と谷口の,ツンツンと伸びた髪が跳ねた。
何だか双子みたい。
マリアはそんなことを思ってちょっと微笑む。
「ほらよ」
「サンキュ」「ありがとう,谷口くん」
「3組も応援団の会議か?」
「そうよ。2組も?」
「ああ。そして俺が,応援団長」
にかっと笑い,谷口は仁の肩を叩く。
「おれらに負けねーよう,3組も頑張れよな」
「負けねー,だけ余分だぜ。お前らこそ頑張れよー?」
肘で小突き合っていると,背後から声がした。
「盛り上がってるとこ悪いけど,邪魔だから通してくんねえかな」
「あ,すまん」
さ,と間を開けると,声を発した人物はふん,と鼻を鳴らして通っていく。
ちらりと仁を横目で見ると,馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「…6年にもなって運動会ごときで盛り上がれるなんて,お前ら安いよなー」
「なんだよ,それ」
「そんな言い方はないでしょ」
マリアもずい,と進み出る。
しかし相手は振り返ることなく,片手をひらひらとさせながら遠ざかっていく。
「へーへー。応援団長殿はせいぜい頑張ってればいいんじゃね。」
吐き捨てるようにそう言われて,
「ちょっと待てよ!」
と,突っかかっていこうとした仁の肩を掴んだのは谷口だった。
「むきになるなよ,放っておけ」
「…谷口」
「あのひと1組のウエダくんだっけ」
「そう。いつもああ言って俺らにも喧嘩を売ってくるんだよ」
「なんだよ,あいつ,気に食わねえ」
「だから,仁,相手にするなって。…これから会議なんだろ?」
「あ」
「そうだった!仁,行くわよ」
「お,おう…」
「気にすんなよ。がんばろーなー」
マリアに手を引かれて廊下を引きずられる仁に,谷口は手を振った。
会議室のドアをあけた。
「あれ,まだ誰も来てない」
「会議,40分からだよねー?」
そう言い合いながら,プリントを机に置く。
運動会に向けて,児童会活動も忙しい。
「ヨコヤマ君は?」
そう聞かれて振り返った1組の女子学級委員長,ハラダは苦笑する。
「ヨコヤマ君も応援団長なの,マリアちゃんと一緒」
ああ,そうだったね,と返しながら,閉め切られたカーテンを引いた。
窓越しの光がまぶしくて,おもわず目を瞑る。
「お互い相方が居なくて大変だけど,がんばろうね」
「うん,そうだね」
「高森君は頼りになるから,心配してないけどね」
ハラダはそう付け加えて,にこりと笑った。
「そんなことないよ」
そう返しながら,ひろしは窓の鍵を外す。
「ちょっと空気がこもってるわね」
ハラダがそう言いながら窓を開けた。
サッシがカラカラと乾いた音を立てる。
ふあ,と風が舞い込んで,黄色のカーテンを揺らす。
下校途中であろう,賑やかな声が校庭から響いてくる。
「さてと。あたしが議題を書いていくから,高森君はプリントを仕分けてくれる?」
さっさとはじめてさっさと済ませちゃいましょ,と言いながらハラダはチョークを手にした。
ち,とカーテンを引く音がして,ハラダが振り返ると,ひろしがカーテンを握りしめているのが見えた。
「どうしたの?」
「……」
「ねえ,高森君?」
「あ、」
ああ,ちょっとまぶしくてさ,と言いながらひろしは机に向かう。
「高森君,具合でも悪い?」
「え,どうして」
「なんか,凄い顔してたよ,さっき」
「そんなことないよ」
それより,みんなはやく来ないかなあ。
ひろしは手早くプリントを仕分けながら,嘯いた。
「クッキー,まだ痛む?」
「だいじょうぶだって!心配しないで飛鳥くん」
「でも」
「だーいじょうぶ!」
「それにしても,大きな絆創膏ねえ」
「でもクッキー,それ結構似合ってるわよ」
「も〜きららちゃんったら」
「はやく治るといいわね」
「うん!」
飛鳥を囲んだ3組女子一同は,わいわいと校門に向かっていく。
―こんな怪我しちゃって,情けないよぉ…
―すぐに治るって,姫木先生言ってたろ。気にすることないよ。
―でもでも,こんなんじゃ飛鳥くんと顔を合わせられないよぉ〜
嘘つき。
笑ってるじゃないか
あんな,嬉しそうに
僕には見せてくれないような表情をして
飛鳥の前で。
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