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そらのしたで >>梨

細切れの無数の雲が次第に茜色に染まっていく。
夕暮れはしんとする。
周囲のあらゆるものが影を帯び,すがたを変え始める時間。


あ,このうちはカレーだな
ふわりと漂ってくるいい匂いに目を閉じる。
ぐい
リードを引っ張る力強さに目を開けると,
はやくいこうよ
と,シッポがせかすように尻尾を振った。

朝と夕方,美紀はシッポと散歩に出る。
近所のおともだち(シッポの,だ)にあいさつをして,公園をぬけて,河原沿いの道を行く。
これが夕方のコースだ。

「あれ…」
向こう側から歩いてくる,見覚えのあるシルエットを目にして美紀はちいさく声を上げる。
電信柱をふんふんと嗅いでいたシッポが,美紀の声に反応してピクリと耳を持ち上げた。

「クッキー!」
「…美紀ちゃん!」
たたた,と駆け寄ってくるクッキーの,アスファルトに長く伸びた影。
「シッポの散歩?」
「うん。こんなところで会うなんて珍しいね」
「そうだね〜」

こんばんは,シッポ。
クッキーはしゃがみ込んでシッポの頭を撫でる。

…ああそうか,もうこんばんは,の時間がやってくるんだ。


「お使いの帰り?」
クッキーが手にしたビニル袋は半透明で,梨が数個入っている。
「ううん。おみやげ。ひろしくん家で貰ったの」
持ち上げた拍子にビニルがかさかさと音を立てた。

「あ いいなあ,梨だあ」
「美紀ちゃんも梨,好きなの?」
「うん。歯応えもいいし,美味しいよね」
「あたしも〜。よかったら少し持っていく?」
「え でも悪いよ〜」
「いいのいいの!貰い過ぎちゃったし」
「そう?…じゃあ折角だから貰おうかな」
「うん!どれにする?」
そう言い合いながら,ごそごそと袋の中身を触っていると,ふいにシッポがわんと鳴いた。

「シッポ?」
わんわんわん!
シッポは嬉しそうに吼えて,リードをぐいぐい引っ張った。
梨を手にしていた美紀は油断していて,リードが手元から離れてしまう。
「あ!」
「ちょっと待って!」

そのままダーッと駆け出したシッポは,曲がってきた人物に飛びついた。

「うわ」

「あ〜こら!シッポ〜」

飛びかかられて吃驚したのか,尻もちをついた人物に慌てて駆け寄る。

「ご ごめんなさい!」
「だいじょうぶですか〜」

シッポはわんわんと鳴き続けながら,尻尾をぐるんぐるんと振っている。

「あ…大丈夫…あはは! こら,くすぐったいだろシッポ!」
シッポに頬を舐めまわされたその人の顔を見て,美紀が目を丸くした。
「なんだ…たーくんかあ」

たーくん?
と小さな声で呟いたクッキーをちらと見た,“たーくん”と呼ばれた人物は,じゃれつくシッポを抱きかかえた。

「ほらよ」
「ありがとう」
“たーくん”の手を離れたシッポが,さみしそうにきゅうん…と鳴く。

「美紀,ちゃんとリード持ってなきゃダメじゃねえか」
「ごめんごめん…怪我しなかった?」
「何てことねえよこれくらい」

立ち上がり,ジーンズの尻をはたく姿を見上げながら,
…背が高いなあ。ひろしくんと同じくらいかも。
クッキーはぼんやりと思う。

「もうそろそろ暗くなるだろ。お前らも早く帰れよ」
「うん…ありがと,たーくん」
「美紀」
「なに?」
「オレのことたーくんって呼ぶな。もうガキじゃねえんだから」
「……」
「…じゃな,俺は行くからな」

そう言ったきり,こちらを見ることなく歩き去っていく後姿をふたりはそのまま見送った。


シッポがまた,きゅうん,と鳴いた。


「美紀ちゃん,今の人どっかで見たことあるんだけど…」
「ああ,クッキーは一緒のクラスになったこと無かったんだ。たーくん,ウエダタカシくんよ。」
「ああ,ウエダくん…確か,1組…だっけ?」
「そう。あたしの近所に住んでて,幼馴染なの」
「へえ〜そうだったの。知らなかったあ」

クッキーがそう言うと,美紀は笑った。
すこし,さみしそうに。

「美紀ちゃん?」
「たーくんね,あたしと幼馴染っていうのが,イヤみたい」
「そうなの?」
ふふ,と,美紀はまた笑って,シッポをぎゅう,と抱きしめる。


「さっきも言ってたでしょ。あたしがつい昔みたいに,たーくんって呼んじゃうと,ああやって怒るもの」
「…」
「ま,しょうがないよね。あたし,さえないもん。」
ウエダが去った方向を見ながら,そう呟く。
「そんなことないよ,美紀ちゃん…」

そう言って,袖をきゅ,と掴んだクッキーを見て,美紀は微笑む。

「いいなあ,クッキーは」
「え?」
「幼馴染と仲良しで。」
「…ひろしくんのこと?」
「そう」
「6年生になっても,昔と同じように仲良しでいられるって,羨ましいよ。」


クッキーは手にした梨を弄びながら,「そうかな」とちいさく呟く。

そのまま黙ってしまったクッキーを見て,
「ごめんね,つまんない話をしちゃったね。気にしないで!」
と言いながら,美紀はクッキーから梨を受け取った。


「ねえ美紀ちゃん」
「ん?」
「いつまでも仲良しな幼馴染のままでいられるのかなあ」
「…クッキー?」
「…幼馴染って,むずかしいよね」

美紀はクッキーが何を言いたいのか,よくわからなかった。
でも,見上げるクッキーの瞳が真剣で,つられるように頷く。

「そうね。…むずかしいよ,ね」
“たーくん”の後ろ姿を思い出して,美紀もそう呟いた。

微かだがしっとりと甘い匂いを放つ梨。
その匂いを嗅いだシッポがちいさくひとつ,くしゃみした。


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