空が高くなり,秋がやってくる。
じいじいと喧しかった蝉の大合唱はいつの間にか秋虫らのささやかな歌に変わっていた。
ちりちりと子どもたちの肌を焼いていた太陽の日射しも,乾きを増した風と共に幾分和らいでいる。
子どもたちの笑い声がグラウンドに響き渡る。
校長室の窓際で,冷めた茶を一口すすって矢沢校長はうむ,とひとつ満足げな微笑みを浮かべる。
教職に就いていて一番幸せなひと時は,こうして生徒たちが元気に走り回っている姿を見ることだ。
矢沢の視線の先には,グラウンド中央に固まって組体操の練習をしている6年生の姿があった。
運動会では,競技の他に各学年ごとの出し物を企画させている。
そして,6年生は毎年組体操をすることが決まっていた。
プログラム後半,午後のクライマックスに出す,いわば目玉のひとつである。
ひとクラスの人数は18名と少ないが,学年全員で行うのでかなりの迫力が出る。
人数が多い分,統率のとれた動きにするのは難しいし,大トリに持ってくるタワーという技は危険も伴う。
当然,教員の指導にも熱がこもる。
「よーし,つぎはタワーの練習にうつるぞ!」
担当教諭の一人である篠田の大声が響く。
それを合図に,学級ごとにピラミッドを作っていた子どもたちが,グラウンド中央へと集まる。
タワーは6年生全員で形作ることになっている。
土台の部分を担当するのは体格に恵まれた男子が中心だ。
そして,タワー上部に上るのは体重の軽い子になっている。
篠田が吹く笛の合図にあわせて,子どもたちは決められた順番どおりに円を作り,肩を組む。
その上に乗り,さらに小さな円陣を組む。
2段,3段…。
「土台,もっと足を踏ん張れ!」
篠田の檄が飛び,土台役の大介は両足に力を込める。
「よし,最後だ。いいか,急がなくていいから気を付けて上るんだぞ!」
そう言って篠田が笛を吹く。
ひときわ小柄な少女が,子どもたちの背に乗り,ひと足,ひと足と慎重に上って行った。
ピーッ。
少女が最後の段まで上ったことを確認すると,篠田が笛を吹いていく。
土台役が揃って立ち上がっていく。
2段目,3段目,4段目。
土台が立ち上がりきったことを確認し,篠田はひときわ大きく笛の音を響かせた
しかし,タワーの頂上にいる少女は,最後のキメの姿勢を取らない。
「大丈夫か?足場が安定しないのか?」
篠田が大声を張り上げると,少女はふるふると首を振った。
顰められた眉,固く惹き結ばれた唇。彼女の両手足はちいさく震えている。
それは普段の明るく快活な少女からは想像もできない,青ざめた表情だった。
篠田はそれを見とめると,ピッ,ピッと笛を小刻みに鳴らした。
それはキメのポーズの後,タワーを崩す合図である。
組体操の練習を始めて1週間半,最後のキメの姿勢以外は既に仕上がっていた。
タワーを崩し,子どもたちを整列させる動きまでを実践させる。
「篠田先生,どうします?」
1組と2組の担当教諭が篠田の方へやってきた。
腕時計の針は,授業終了時刻まであと5分もない。
「今日はもう終了にしましょう。池田には,あとで個人特訓をします」
篠田がそう言うと,1組の担当教諭が小さな声で,
「あの様子が続くのならば,矢張り頂上役は変更した方が良いんじゃないですかねえ」
と呟いた。
篠田は苦笑いを向け,「ま,とりあえずその話はあとでご相談しましょう」と告げる。
そして,拡声器に向って「今日の組体操練習はここまでとする。」と声を張り上げた。
それを待っていたかのように,チャイムが鳴り響いた。
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