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夏の魔物 >>夕立

降り始めはまるで蜘蛛の糸のように細くて微かなものだったのに,
二人が木陰に避難すると同時に,まるでバケツをひっくり返したように,雨はその勢いを増した。

遠くで雷鳴が響く。
それに合わせて,マリアの肩が小さく震えた。
「…なに,怖いの?」
少々意地悪そうに,にやりと笑って問うと,案の定マリアは少し慌てた。
「そ,そんなことないわよ!ちょっとびっくりしただけ!」
「ふ〜ん」
「…な,なによ」
「い〜え〜。マリアにもちょっとは可愛いところがあったんだなぁ〜って思ってさぁ」
言い終わらないうちに背中をバシッと叩かれた。

「か,からかわないでよっ!」
「…いって〜。お前,ちょっとは加減しろよ」
「あら,優しいもんでしょ」
「そうじゃなくて,お前だって女なんだからそういう乱暴なのは…」
「お前だってって,何よ!」
大袈裟におお〜いててとやってみせると,ぷりぷりと怒りながらも心配そうな目を向けてくる。
なんだかんだ言って,マリアは優しい。

「ねえ,そういえばアンタ,宿題終わってるの?」
不意に持ち出された話題は,仁にとって好ましい内容では無い。
「あ〜あれね〜オレはその,なんつーか」
「…まだ済んでないのね?」
「ま〜それはまだ日にちがあるし…」
「そーいうことを言ってるうちにあっというまに新学期よ!アンタ,本当に小学生の時から変わってないんだから」
「そ…そういうお前はどうなんだよ」
「あたし?あたしは7月中に終わらせましたけど?」
「げ…まじで…?」
「ま・じ・で」
「それじゃお前の」
「宿題を写させてくれと言う頼みだったらお断りです」
「…なんで分かったの?」
「アンタって本当に成長してないわね…」


あきれ顔でこちらを見るマリアの眼差しがちくちくと痛くて,仁はそっぽを向く。
「…オレだって少しはやってんだぜ。ただ,部活が忙しくてな…」
「あら,あたしだって仁とおんなじ,スタメンですけど?」
「ぐっ…。それでもお前,おれの彼女かよ?!」
「あ〜ら,仁君,あたしは彼氏のためを思ってあえて厳しくしてあげてるんじゃないですか〜」
「……。厳しすぎるのも,どうかと思います」
「甘やかすのも,どうかと思いますけど?」
にっこり笑って,切り返された。


ああ言えばこう言う。
友人たちには夫婦漫才と言われるこのやりとりは,二人が「彼氏・彼女」という関係になってもちっとも変わることが無い。

「ふん…。まあいい。オレにはまだ味方がいる」
「…味方?」
あれこいつちょっと嫉妬してんじゃないの?と思いつつにやりと笑って,
「頼りになって,お勉強も出来て,優しい味方がね〜」
と言ってやる。
「おとついだって,その優し〜い味方が,優し〜くおれの宿題に付き合ってくれましたから!…誰かさんと違って」
大体,いつも俺はこいつにやり込められてばかりの気がする。と仁は思う。
確かにマリアは成績も良いし,スポーツも万能だし,しっかりしてるし,見た目だって…その…悪くはない。
普段から「出来すぎの彼女」であるマリアに対して頭が上がらない自分は,たまにこうしてからかって小さな反撃をしてみる。
ただ,それはやり込めたいという意図よりも…,すねた表情のマリアが見たいからだけかもしれない。


但し,今回の小さな反撃は,見事に返り討ちにされてしまった。
マリアがあっけなく言い放ったからである。
「ああ,吼児くんとひろしくんね」
「…う…なぜそれを…」
「目に浮かぶわ。困った顔で宿題を写させてあげてる吼児君と,真摯に指導しようと頑張るひろし君の姿が」
「……。」
「あの二人にも甘やかさないように言っておかなくちゃ」
独り言のようにそう呟いたマリアに,それだけは勘弁してくれ,と仁は思った。


「ねえ…その,一昨日?だっけ?」
「あ?」
「ひろし君…どんな様子だった?」
「え?別に?いつもと同じだったけど?」
「…そう」
「なんだよ?どうかした?」
「…ううん。なら,いいの」
そう言ったまま,何事かを考えこむマリアを横目に見ながら,仁はそういえばあの日ひろしの家で食べたアイスが美味かったなあと思い出す。


一瞬風が強く吹きこんで,枝先から雨だれが降りかかってきた。
しずくが,マリアの目蓋に当たる。
「つめたっ」
「ほ〜ら,オレに乱暴な真似したからバチがあたった」
「そうじゃないですー!偶然ですー」
未だぷりぷりと怒りながら,マリアはスカートからハンカチを取り出した。


ざあざあと大きな音を立てて,雨は周囲の景色をくすませる。
「…まだ降るんかな」
「あ〜あ 置き傘あったのに。持ってこればよかった」
「なんだよ〜何で持ってこなかったんだよ」
「アンタのせいでしょうが!」
「え?オレのせい?なんで?」
「アンタが早く帰ろうって急がせたんでしょ」
確かに,部活上がりのマリアを,帰り支度もそこそこに連れ出したのは自分である。
仁が所属するサッカー部は,今日は午前で練習が終了した。
そのため,彼はマリアのバスケ部終了時刻まで校庭で自主練をしながら待っていた。
マリアの練習が終わるころには,さすがの仁も待ちくたびれてじりじりとしていたのであった。

「…う…そうでしたけど…」
「アンタっていっつもそう。こっちの言い分聞かないでどんどん話を進めちゃうんだから」
「だってさ〜」
「だって,なによ?」
「早く顔を見…,…って何でもねえ!」
「?なに?」
「あーあー何でもねえよ!…つーか,早く雨やまねえかなあ」
「ちょっと仁,気になるでしょ!何よ?」
「雨降るなんて思ってなかったしよぉ」
「ねえったら!」

仁の耳に,ぎゃんぎゃんと煩いマリアの声が響く。
女っていうのは何でこう煩い生き物なのだろうか。
きっと口から先に生まれてきたに違いない。
何とかしてこいつを黙らせる手立てはないものか。

ひとつ,思いついた。


思いついたので,実行してみた。

そしたらすぐに,黙った。
赤い頬っぺたを,顔にくっつけて。


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