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わがままです

「うう,寒い」
デパートの地下駐車場は,ぴりっと冷えた空気に支配されていた。
ひでのりはコートの袖に手を引っ込めてぶるりと身を震わせる。
「あと少しの辛抱でございますよ,坊ちゃま」
大きな紙袋を抱えたじいやが,励ましの言葉とともに白く染まった息を吐き出した。
こつこつこつ,と二人分の足音が響く。
高級車がずらりと駐車された一角で,ひときわ立派なリムジンが静かなエンジン音を立てていた。
「坊ちゃま,さあどうぞ」
二人の姿を認めた運転手が,さっと出て来て後列ドアを開ける。
じいやがトランクに荷物を積んでいる間に,ひでのりは運転手の手を借りて温かい車内に乗り込んだ。
ほどなくじいやも乗り込んで,運転手はエンジンキーをくるりと回す。

「ずいぶん沢山買いこまれましたね」
運転手が楽しそうに声をかけた。
「ええ。店内も賑やかでなかなか骨が折れましたよ」
答えるじいやの声も弾んでいる。
ひでのりはさきほどまで居た催事場を思い浮かべる。
人,人,人で埋め尽くされた7F催事場は,赤やピンクで彩られた大きな看板や垂れ幕で大層派手にデコレーションされていた。
「坊ちゃま,お疲れになったでしょう」
そう言われて,ひでのりはにこりと笑って見せた。
「そんなことないよ。色んな品物があって楽しかった」
「そうですか。それはようございました」
「わざわざ連れてきてくれて,ありがとう」
そう続けると,二人ともいえいえそんな,と恐縮する。

じいやはそっと安堵のため息を漏らした。
買い物も無事終了して,あとは屋敷に戻るだけだ。

本来であれば,こんなに混み合う店内までわざわざ出向くことなど無かったのである。
取り寄せであれば,一度に沢山の量を購入することが可能であるし,そもそもこのデパートは近藤財閥に属しているからだ。
ひでのりの欲しい品物を,支配人を通して持ってこさせれば話はすんだのである。

だから,最初ひでのりが買い物をしたいと言い出した時,じいやは控えめながらも反対した。
しかし,ひでのりは頑として自分ひとりで行くと言って聞かなかった。
ひでのりは一度こうと決めたら意外に引かない。
「だって,僕からの贈り物を選ぶのにじいやに同行してもらうのは変じゃないか」

ひでのりは自分のわがままのために誰かに手間を掛けさせたくはないと言い張った。
確かに道理は通っている。
しかし,ひでのりは近藤財閥の御曹司である。
ボディガードを付けないで一人で外出させることなど,出来るわけもなかった。
いくら平和な陽昇町であるとはいえ,不測の事態も考慮しておかねばならない。
そうした事情をあれこれと並べ立て,どうにかこうにか説得して,じいやが同行すると言うことを条件にしぶしぶ了承させたのだった。


ぴかぴかのガラス窓の向こうには,少しうす暗く曇った空と,冷たい風に枝先を揺らした街路樹が見える。
まだまだ寒い日が続くのだろうと思い,午後のお茶にはひでのりが好きな特製紅茶を用意しようと考えていると,横からぽつりと声が聞こえた。
「…僕はまだまだ一人じゃ何もできないんだね」
はっ,として振り向くと,ひでのりは膝かけの端についたフリンジを指で弄びながら,
「本当は,誰にも手を借りずに準備したかったんだ」
と言う。
「坊ちゃま…」
そう呟くと,ひでのりはぱっと顔を上げて微笑みかけた。
「じいやを責めてるんじゃないんだ。みんな,僕のためを思って心配してくれてるんだってわかってる」
「……」
「ただね…。ただ,ときどきちょっと悔しくなるんだ。僕がもっとちゃんとしていたら,って」
「…そんなことは無いですよ。坊ちゃまはしっかりしておられます」
ただ,彼が普通の立場に置かれていないだけで。

(…坊ちゃまは本当に,成長なさった)
じいやは目の前の少年をあらためて見つめる。
彼はひでのりが生まれる前から近藤家の筆頭執事として仕えてきた。
そして,彼が生まれて以降は執事としてだけではなく,彼の世話係として(無論,教育係もメイドも揃ってはいるが)次期当主となるひでのりを,誰よりも近くで見守ってきたのである。
それこそ,自分の孫を見るような気持ちで。

ひでのりは体が弱かった。
小さい頃はしょっちゅう風邪をひき,そのたびにじいやは寝ずの看病をしたものだ。
今でも体つきは小さいものの,
(本当にお健やかに…日々立派に後継ぎとしての成長を遂げられている)

ひでのりの立場は,確かに恵まれているのであろう。
金銭的に何一つ不自由なく,周囲の人々によって大切に守られる毎日。
しかし,ひでのりは自身の意思一つで行動することが許されない身でもある。
例えば今日のように,一人で買い物すらさせてあげられない。
同じ年代の子どもであったら,当然可能なことですら自由にさせてもらえない。

しかしひでのりは,それにむくれることはない。
自分の置かれた立場を十分すぎるほど理解して,納得している。
そういうことが,時にたまらなく不憫に思うこともある。

ひでのりが今感じている,わがままを押し通すことへの罪悪感も,きっと彼が普通の家庭の子どもであったら感じずに済んだかもしれない。
自分の一挙一動で,じいやをはじめとした多くの人間を(結果として)振り回してしまうのだ。
これが,財閥の御曹司と言う立場に生まれた者の宿命と言っては大げさだろうか。


今,リムジンのトランクに積まれた荷物の中身を,じいやだけが知っている。
たくさんのチョコレート菓子の材料と,ラッピング用の包装紙などだ。
…とてもじゃないけれど,ちょっと作ってみようかな,といった気軽な気持ちで作れる量では無かった。

催事場でひでのりが品物を選びはじめたとき,だからじいやはひどく吃驚したのだった。
最初は,遠くヨーロッパに長期出張をしている旦那さまと奥様に贈るためだけに作るのだと予想していたのに。
ひでのりは,両親のためだけでなく,自分のクラスメート全員と,自分の世話役全員に贈るつもりらしい。
しかも,全員に買ったものを贈るのはまだしも,ひとつひとつ手作りすると言う。
(これはまた,無茶な…)
当然,そう思った。そして,ひでのりにもそう諭した。
そうしたら,ひでのりは諭されることを予想していたのであろう,にっこりと笑って見せたのだった。

「でもじいや。こればっかりは譲れないんだ」
「ですが…」
「父様がね,昔仰っていたんだ」
ひでのりはぽつりとそう言うと,ショウケースのガラスに指をつつ,と這わせた。
「……何と?」
「ありがとうと思う気持ちを忘れてはならないって。自分の周りにいる人すべてに,感謝の心を持ちなさいって」
「……」
「僕はね,父様母様も,防衛組のみんなも,家に居るみんなも,じいやも,みんなみんな大好きなんだ」
「…坊ちゃま」
「バレンタインは,だいすきっていう気持ちを伝えるお祭りなんでしょ?だから,僕はみんなにだいすきです,って伝えたいんだ」
そう言ったひでのりの眼差しはまっすぐだった。
まっすぐに。どこまでもまっすぐ,素直に。

「…それは,素晴らしいことだと思いますが」
「だからね,当日まで,家のみんなにも,父様母様にも,内緒にしておいて欲しいんだ」
「内緒とは…,しかし作業されるときには手伝いの者が目にするではありませんか」
「うん。だからね,手伝いはいらないよ」
「い,いらないとは…,坊ちゃま!まさか,全部お一人でなさるおつもりですか!?」
「もちろん!」
「し,しかしそれはあまりにも無茶ですぞ!」
「大丈夫。これでもちゃんとね,時間配分も計算してあるんだ。無理しないように作るから」
「……」
「わかってるよ。これが僕のわがままで,余計にじいやに心配をかけちゃうってことも」
そう言ったひでのりの表情は穏やかで,しかし強くて,それが彼にこれ以上説得することを躊躇わせた。

「…どうして,そこまでなさるのです?」
「だって,これは僕からの贈りものなんだから。ひとつひとつ,僕が作ることに意味があるんだ」
「坊ちゃましかし」
「僕が自分で頑張らないと,意味がないんだ」
「……」
「だいすきです,って気持ちを伝えるのって,そういうことだよね?」
「……」
「どうしても,譲れないんだ」

じいやの目の前でにっこりとほほ笑むひでのりは,いつもと変わらず小柄で。
しかし心持ち上気した顔は強い意志に縁どられ,どこか誇らしげで。

―坊ちゃまは,いつのまに大きくなられたのか?

ひでのりがこれからしようとしていることは,
大好きな人に,大好きですと伝えたいためだからという。

…だからそれは本当にわがままで。
そしてひでのりもそれを承知で言っていて。

「…ようございます,坊ちゃま」
「ホント!?」
ぱっと表情を明るくしたひでのりに向かって,
「でもどうか,どうかご無理はなさりませんよう」
そう言って,じいやもまたにっこりと笑った。


小高い丘の上にある,近藤家屋敷の大きな屋根が見えてきた。
「じいや,わがまま聞いてくれてありがとう」
ぽつりとそう漏らしたひでのりを見遣ると,
「…わかってるんだ。わがままを聞いて貰ってる時点で,僕がまだまだ子どもなんだってことも」
ひでのりは此方を向かずに,窓枠に手を掛けた。

(しかし坊ちゃま)
(じいは,そんなあなたを誇らしく思うのです)

だから,坊ちゃまのわがままを嬉しく感じるこのじいも,まだまだ子どもなのかもしれません。


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