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チョコレートに少女は何を込めるのか?

「ただいまぁ」
玄関口でそう言ってゆうが手提げの袋をとん,と床に置くなり,リビングから彼女の妹が顔をのぞかせた。
「お姉ちゃん,おかえりなさい」
スリッパの音をぱたぱたと響かせながらこちらへやって来た小さな妹は,手提げ袋を指さして尋ねる。
「ねえお姉ちゃん,これ,あれ?」
「そうよ」
とても待っていられないという風に目を輝かせたルリコが可愛くて,ゆうはにっこりと微笑む。
中身を早速取り出そうとした妹に向かって,ゆうはちょっと待ちなさい,と告げてから,自分のスリッパを取りだした。

手提げ袋の中身は,沢山のレシピ本だ。
ラブと美紀に貸していたのだが,二人とも既に決めたらしく,今朝ありがとうと返された。
去年,妹のために色々な野菜を使ったお菓子のレシピを調べるうちに,いつのまにかお菓子作りが趣味のようになってしまった。
おかげで,ゆうの本棚の一角は,レシピ本の他にも雑誌の切り抜きをまとめたファイルなどで占められている。

手洗いとうがいを済ませてリビングに戻ってくると,ルリコは早速一冊を取りだしてぺらぺらと頁をめくっていた。
「ねえお姉ちゃん,これ何て読むの?」
「ん?どれどれ,見せて」
ルリコはまだ2年生だ。読めない漢字も多い。
示された文字を説明してやりながら,ゆうは今朝の友人の姿を思い出す。

「ゆう,長い間借りちゃってごめんね」
朝のホームルーム前に,美紀とラブが揃ってゆうの机にやってきて,雑誌が入った袋を置いた。
「いいのよ。何か参考になった?」
「うん。お陰さまで」
「チョコっていっても,いろんなお菓子があるのね。知らなかったわ」
「これだけあれば,きっとレシピが被ることはないと思うけど…」
そう,ゆうが呟くと,ラブはにっこりと笑った。
「もし被っても構わないわよ!」
「ほんと?」
「ええ。だって,もし同じ種類のお菓子だったとしても,贈ることが大事なんだから」
どこか確信がこもったように,ラブは力強く頷く。
その横で美紀が,
「あ〜でも,もし同じだったら出来栄えで差がついちゃう」
と,情けない声を出した。
「やだ美紀ったら」
ラブとゆうはくすくすと笑う。
「作る前からそんな不安がってちゃ駄目よ」
「そうだけど〜」
「大丈夫よ。美紀ちゃんだったらきっと上手に作れるわ」
「そうかなあ」
不安そうな表情のままの美紀の背中を,どん,とつよく叩きながら,ラブが,
「気持ちを込めて作ること!これが成功の秘訣よ,きっと!」
と励まして,ようやく美紀が笑った。


「お姉ちゃん,これはどういうお菓子なの?」
そう問われて,ゆうははっとレシピに注意を戻す。

(二人とも,とっても可愛かった)

ルリコにわかりやすいようにかみ砕いて説明しながらも,ゆうは今朝の友人たちのことを思う。

気持ちを込めて作ること。

そう言ったラブの笑顔がやけに可愛くて,目に焼きついた。

(去年,ラブちゃんはあんな表情していたかしら?)

そんなことを思いながら,傍らに座る妹の顔を見る。

(…やだ,この子ったら)

まるい頬っぺたが,ピンク色に染まっていて。
とても,可愛らしかった。


ルリコは今年,クラスの誰かにチョコレートを贈りたいらしい。
『お父さんとお母さんには内緒よ』
そう言いながら,こっそり打ち明けてくれたのだった。

(去年までは,食べる方ばっかりに興味があった癖に)

それが今では,こんなに頬を染めちゃって。

レシピを繰りながら一生懸命紙面を見つめているこの小さな妹の頭の中は,好きな男の子のことでいっぱいなのだろう。

「ねえお姉ちゃん,これはどうやって作るの?」
そう問われて,ゆうは再び説明をしてやった。

バレンタインのチョコレート。
それは,女の子が好きな誰かを思って作る素敵なお菓子。

そのお菓子を渡して,相手が想いに応えてくれたらもっともっと嬉しいけれど…。

(でも)

(でもきっと,誰かを想って作ること自体が,とっても幸せなことなんじゃないかしら)

だって,とゆうは頁をめくってやりながら考える。

小さな妹の,ピンク色に染まった頬。
友人の華の咲いたような笑顔。
そうきっと,誰もが。

甘い甘いお菓子に,とっておきのスペシャルな隠し味を込めて贈るのだ。


「お姉ちゃん,どれも難しそうだよ〜。ルリコにできるかなぁ?」
そう聞かれて,ゆうは妹の顔を覗き込んだ。
「大丈夫よ。お姉ちゃんが手伝ってあげるから」
「でもでも〜」
ぷるぷると首を振る妹に向かって,ゆうはウインクしてみせる。
「よし。お姉ちゃんがとっておきのことを教えてあげる」
「とっておき?」
「そうよ。チョコが美味しくなる,だいじなことよ」
「だいじなこと〜?」
「ええ。ルリコだけに,特別に教えてあげる」
「なになに?」
「それはね…」


恋する女の子は,チョコレートに一匙の魔法を掛けるのです。



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