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郵便受

マンションの一階ロビーに設置された郵便受を,何度覗いたかわからない。
通りがかった同じマンションの住人に会釈をするのにも飽きたころ,ようやく郵便のお兄さんがやってきた。
待ち構えていた僕にちょっとびっくりしたのだろう,お兄さんは戸惑いながらも手紙の束をてきぱきと仕分けていく。
「…ご苦労様でした〜」
そう言って見送った僕の声にちょっと張りが無いことくらい,自分でも分かっていた。

(あ〜あ)
僕の手元にあるのは,ダイレクトメール2通と,父さん宛ての手紙,それからクレジットカードの通知書。
今日も届かなかった。

この間届いた手紙から,もう3週間以上経っている。
(忙しいのかな)
そう思って納得しようとしたけれど,“そうじゃない”って囁くもう一人の自分がいるようだ。

エレベータに乗って,自分の家へ戻る。
今日は比較的あったかかったから,ジャンパーを着ないで外へ出たのだけれど,玄関を開けて温かい空気に触れると意外に自分の体が冷え切っていたことに気がついた。
手紙の束を台所の机の上に置いてから,僕は自分の部屋へ戻る。

「あ〜あ」
今度は声に出して呟いて,僕はベッドにばすんと倒れこんだ。

こんな暗い気分のままじゃ,あらたに手紙も書けやしない。
先週末に手紙を書いたばっかりってのもあるけれど。
そんなにしょっちゅう,僕の方から手紙を出してもなんだか押しつけがましい気がしてしまう。

でもこのままベッドでぼんやりしているのも勿体ない気がして,
(というより,このままぼんやりしているとどんどん気分が落ち込んできそうな気がして)
僕はえいっと弾みをつけて起き上がる。

学習机に向かって,目の前に立てかけてあったファイルを取る。
ここには,卒業文集に入れる予定の原稿が入っている。
原稿って言っても,まだ完成してるわけじゃないけど。

僕は卒業文集の編集係だ。
もちろん,一人じゃとてもできないので,委員長のマリアとひろし君にも手伝ってもらっている。
既に学級会で決めた内容に沿って,クラスのみんなでそれぞれ分担して書いた部分を,どういう形でまとめるかを考えたり,小さなコラムをいくつか書いたり。
結構,やることがたくさんあるんだ。
毎日の宿題のほかに,だから僕には色々とやることがある。

そう,だから落ち込んでばかりも居られないんだ。

鉛筆を手にとって,コラムのひとつ『音楽会』についての原稿に向かう。



駄目だ,なんか集中できない。
言葉があっちこっちにぶらさがったまま,うまくまとまらない感じだ。

あーあ。

30分ほどねばったけれど,どうもうまくいかなくて,僕は立ち上がり背伸びをする。
暖かい飲み物でも入れて,気分転換しようと部屋を出た時だった。

ピンポーン

インターホンに慌てて向かい,受話器を取る。
「はい」
「こんにちは,吼児くんいらっしゃいますか」

受話器越しに聞こえてきた声に,僕の心臓がどきんと鳴った。

慌てて玄関のドアを開けると,そこには僕がさっきから待っていた手紙の相手がちょこんと立っていた。

深い赤色のマフラーに半分くらい覆われている顔から,瞳だけにっこりとさせたその子が,
「吼児くん,久しぶり」
と告げても,僕はまだちょっと信じられなかった。
だから,
「え?え?どうして…」
って,呟くしかできなかった。

そんな僕を見てころころと笑い声を立ててから,梢ちゃんが
「来ちゃった」
って言ったんだ。

「と,とりあえず上がってよ」
ようやく声に出すと,梢ちゃんはまたにっこり笑ってお邪魔します,と言って玄関に入ってくる。
生憎母さんが出掛けていたので,梢ちゃんをリビングに通してから薬缶を火に掛ける。
紅茶を準備していると,ソファ越しに梢ちゃんが話しかけてきた。
「よかった,もし居なかったらどうしようって思ってたの」
「今日来るなんて,言ってなかったじゃないか」
食器棚からお客さん用のコップを出しながら,僕は言い返す。
「だって,吼児君をびっくりさせたかったんだもの」
「……」
「びっくりした?」
「したよ〜」
思ったよりも情けない声になって,それで梢ちゃんがまた笑った。

紅茶を一口飲んで,梢ちゃんが「温かい」って呟く。
外はやっぱり冷えていたんだろう,まだ梢ちゃんの頬っぺたが赤い。

僕は梢ちゃんに何て言ったらいいか思いつかなくて,だからおんなじように紅茶を啜った。
でも頭の中はぐるぐると色んな言葉が回っていた。

どうして手紙をくれなかったの?
どうして前もって知らせないでいきなり訪ねてきてくれたの?
一体何のために?

ぐるぐるしている僕を余所に,梢ちゃんはにこにこと微笑んでいる。

「…ごめんね」
「え?」
「吼児君,なんだか困った顔してる」
「そ,そんなことないよ」
僕は表情をひきしめた。
「びっくりさせたかったけど,困らせたかったわけじゃないの」
そう言いながら,梢ちゃんは自分の手提げ袋を膝の上に置いた。
「びっくりしただけで…,困ってるわけじゃないよ」
そう返しながら,もっと気のきいたことが言えないのか,って自分を叱った。

「それでね」
「うん」
「今日はね,これを渡したくて,来たの」
そう言って梢ちゃんが袋から箱を取りだした。
それはピンク色の包装紙に覆われて,赤いリボンが結わえつけられている。
「はい,どうぞ」
差し出されるまま,僕はその箱を受け取った。
「あ,ありがとう」

でもこれ,何だろう?

そう思っていたのが顔に出ていたのだろうか,梢ちゃんがぷっと吹き出した。
「え?えっと…?」
「吼児君ったら,ぽかーんてしてる」
だって僕の誕生日はもう過ぎてるし,クリスマスだって終わったし,

「おのぼり山発,チョコケーキ」
そう言って,梢ちゃんがにこっと笑った。

……あ!

ようやくこの贈り物の意図が分かった僕に向かって,梢ちゃんは悪戯っぽそうな笑みを浮かべたまま,
「それと,おまけ付きなの」
と言って,手提げから小さな紙袋を取りだした。

「……?」
「開けてみて?」
取りだすとそれはどうやらしおりのようだった。
でもただの紙切れじゃなくて,表面がビニールで覆われている。
ひっくり返すと,ピンク色の小さな花が並んでいた。

「押し花…?」
「そう,あたしが作ったの。結構上手にできてるでしょう?」
「うん…!すごいや」

えへへ,と笑った梢ちゃんが可愛くて,僕はどぎまぎしてしまう。

「ケーキもね,ちゃんと手作りなんだよ」
「え…そうなの?」
「うん。本当は当日に渡したかったけどね,食べ物だし,郵送だと形が崩れちゃうと思って」
梢ちゃんはさっきからちっとも調子を崩さないまま,にこにこ笑って喋っている。
僕がこんなにどきどきしているというのに。
「だ,だから,わざわざ?」
「うん!ちょっと早くなっちゃったけど」

紅茶のおかわりを入れよう,と思う。
さっきから,喉がからからに乾いている。



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