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ventus

本命チョコは,ふたつあってもいいものだろうか?

ひとつは勿論,大好きな飛鳥君宛て。

そしてもうひとつは…。



店の手伝いを終えて,あたしは勉強机に向かう。
今日の宿題(…うげ,算数のプリント。やりたくないけど,でも済ませてしまわなきゃ)をしぶしぶ広げた。

教科書と照らし合わせながら,わからなかった問題をそれでも強引に解いてしまって,あたしは早々に宿題を切り上げる。
今のあたしにとって大事なことは,算数の宿題よりも別にある。

要はこれをどうやって届けたらいいのか,ってことよね。

あたしは一番下の引き出しにしまった例の物を取りだした。
郵便で送ろうにも,宛先も分からないし…。
新聞に呼びかけでも投稿しようかと思ったけど,さすがに彼は新聞を読まないだろう。


あたしは彼が今どこに居るのかさっぱり分からない。
でもどこかに必ずいると信じている。

あたしの,正義の味方。


…少々お節介な彼は,だからちょっと困っていたら助けに来てくれるはずなんだけど。


色ペンを使って,カラフルに仕上げたメッセージカードをぼんやりと眺めた。
宛名とともに,似顔絵も描きこんである(結構似てると思うのよね,これ)。


彼があたし達の前に現れて,そしてあっという間に居なくなってからもう一年経つ。
その間,あたしはずっと彼を探していた。
どこかで困ってる人がいたら,きっとあの高らかな笑い声とともに現れて助けに来るんだと思っていた。
だからあたしはしばらく町内を巡って,困った人がいないか探しまわったりもしたものだ。
ワルーサを倒してからは,それまでのように邪悪獣に振り回されることも少なくなって,必然的に困っている人も減ってしまっているのだけれど。

最初は一緒になって探してくれていたヨッパーも仁も,いつのまにか彼の名前を口に出さなくなっていた。

“あいつは邪悪獣だったろ。だから…もう…”

それでも諦めないあたしに向かって,仁はそう言いかけたけど,あたしの顔を見て口をつぐんだ。
あたし,そんなに悲しそうな顔をしていたのかな。


こころのどこかで,彼はもう現れないって思う自分が居る。
でも,そうじゃない,きっとどこかで,って信じている自分も居て。


あたしたちもあと少しで卒業だ。
卒業したら,中学生になる。

いつまでも子どもっぽい願いを持ち続けているわけにも,いかないのかもしれない。


…そんなことを思ったら,ちょっと涙が滲んできた。


いけない。
いつもの元気なときえはどこへいったの!


「お風呂に入りなさい」って母ちゃんの声がして,あたしはわざと大きな声で返事をした。


うちのお風呂場は狭くて暗い。
いい加減,父ちゃんがお風呂を改築しようって言い出しているけれど,いつになるやら。
ちゃぽん,と音を立てて,あたしは顔をごしごしと拭った。
外では風がびゅうびゅう吹いていて,温かな湯気越しに,風呂場の窓がぴしぴしと音を立てて軋んだ。
こんなに風が強いと,外はきっと寒いに違いない。

うちに来ているお客さん,帰りに寒い思いをするのかな。
そう思うと,ちょっと可哀想になった。

がたがた,ぴしぴし。
どんどん窓の軋む音がひどくなる。
まるで台風の時のように。
これってまさか,春一番?

少し怖くなって,湯船に深く体を沈めた時だった。
ざあっと大きな風の音がして,それに混じって懐かしい声がした。


―ハッハッハッ,オセッカイザー!!!―


その声は確かに,彼のものだった。


あたしは思わず立ち上がると,ガラス窓に手を掛ける。
建てつけが悪くて,どんなに踏ん張っても窓は開かない。
両手が真っ赤になるまで頑張ったけど,結局窓は開かなくて,あたしは急いでお風呂を飛び出した。

信じられないくらい高速で服を着ると,髪も乾かさないままで,あたしは走り出す。
「ちょっと,ときえ,どこいくの!?」
母ちゃんの声が聞こえたけど,あたしは構わず表へ飛び出した。


―ハッハッハッ―

また声が聞こえる。
こっち側じゃない,店の方だ!

あたしは踵を返すと,母ちゃんが止めるのも聞かずに店の入り口に向かった。
入り口では,真っ赤な顔をしたおじさんが店の看板の前にへたり込んでいた。

「おじさん,今,オセッカイザーが来てた!?」
勢い込んでそう聞くと,おじさんは酒臭い顔であたしを見上げる。
…駄目だ,大分酔ってる。

立ちつくしたあたしの視界が一瞬暗くなった。
母ちゃんがタオルをあたしの頭に被せたのだ。
「ときえ!そんな頭のままで立ってたら風邪ひくでしょう!」
あたしは母ちゃんに引きずられるように店の中へ連れ込まれてしまった。


父ちゃんがさっきへたりこんでいたお客さんに椅子をすすめて,お冷を渡している。
おじさんは一口ごくりと飲むと,まだきょとんとした表情のまま,あたしに話しかけてきた。
「お嬢ちゃん,さっきのひと知ってるの?」
「おじさん,やっぱりさっき誰かに会ったのね!?」
「んあ。一瞬だったからよく見覚えてないんだが…」
「そのひと,どんな格好だった?何してたの?」
「いやね,ぼんやりとしか言えないがね」
「いいから,おじさん,教えて!」
ときえお客さんに向かって何て態度なの,と母ちゃんが責めるように言ったけど,あたしはそれどころじゃない。
「いやね,店を出たときにね,風が強く吹いてたもんだから,連れとね…,あれ,あいつはどこ行ったんだ!?」
おじさんはきょろきょろと周りを見渡した。
「あれ,確かにご一緒のお客さんはどちらへ?」
父ちゃんもそう言われて初めて気づいたらしい。


…話はこうだった。
おじさんは,連れのお客さんと一緒にタクシーを捕まえようとしたそうだ。
しかし折からの強い風で,流しのタクシーは既に客を乗せていて,なかなか止まってくれない。
どうやら連れのお客さんは遠くから来ていたらしくて,帰りの電車に乗れなくなりそうだと不安がっていたそうだ。
そうこうぶつぶつ呟いていたら,ひと際大きな風が吹いて,お客さんたちは身をかがめてしのいだ。
そのとき,やけに体のでかい,青い格好をした男が笑いながら「飛び降りて来て」,連れのお客さんを抱きかかえたまま,笑いながら「飛んで行った」という。

父ちゃんも母ちゃんも,それから周りに居た他のお客さんも,お酒に酔って幻を見たんだって笑っていた。
でもあたしだけは,それが本当のことなんだってわかっていた。


母ちゃんに怒られて,あたしは髪の毛を乾かしてから自分の部屋へ戻った。

部屋へ戻って,あたしはさっきのお客さんが幻を見たんじゃないって確信した。
だって,窓が少し空いていて…,机の上に置いてあったプレゼントが,すっかり無くなっていたからだ。

きっと連れのお客さんは電車も飛び越えて自分の家へ連れて行かれただろう。

因みに,そのお客さんはどうやら出張でここへ来ていたらしく,今夜は隣町のホテルに戻る予定だったそうだ。
…その人の家は大分離れた場所らしいんだけど。


つまりは,あたしの本命チョコはちゃんと受け取ってもらえたってわけだ。
…できれば,当日に来てほしかったんだけどな。

やっぱり貴方はあたしの憧れのひと。


ねえ,またきっと,いつか会えるよね?
オセッカイザー。



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